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過日(02)

 僕は、自分の事は棚上げしたまま過ごしていました。逆に言うと、何故颯くんとユキノさんは二人で民宿などやっているのだろうという事の方が気になってしかたなかったのでした。
 アルバイトとして「志のや」にやって来た時から、この民宿屋が古くから在るだろう事は容易に想像が付きました。ユキノさんの話によると江戸時代の中頃からこの地に住んでいたらしく、この民宿「志のや」の建物自体は明治の末頃に四代前の主人桐島官兵衛(かんべい)という方が流行り始めた西洋建築の建物に憧れ建て替えたということでした。戦争中罹災する事もなく、年月も経っているせいか外観の淡いクリーム色が所々はげていたり屋根の緑色も少し褪せた感じを受けましたが、懐かしい趣となってこの木造の洋館に独特の味を与えていて、決して古くさい感じではないのでした。また、二人はきちんと建物を見ている様で、僕がバイトに来てから一度点検を任せている業者の方がやって来て各所を点検していました。「志のや」に対する愛情の深さが感じられますとユキノさんに話すとユキノさんは、ふふと笑いながら
「官兵衛さんの話と、写真を見るとおかしいのよ」
 と言ってアルバムを出して見せてくれました。
 白黒の写真には出来たばかりだと分かる「志のや」をバックに数人の男女、子供達が写っていました。
「真ん中で、どっしりしているのが官兵衛さん。その隣のキレイな人が奥さんの志の(しの)さん」
 官兵衛さんは、半袖シャツにスボン。志のさんは、夏物らしい涼しげな柄の着物を着ていました。僕が「それじゃ、「志のや」って名前は官兵衛さんの奥さんの名前から来てるんですね」と言うとユキノさんは、また笑いながら
「大変な騒動だったんですって。昔から桐島家は旅館というか、今と同じような宿屋をしていたらしいの。代々「桐島屋」という屋号を大切に守って来たのに、官兵衛さんったら結構立派だった建物は建て替えて洋館にしちゃうわ、大事な屋号は奥さんの名前にしちゃうはで、ほら、二人の右側に写ってる初老の方達が官兵衛さんのお父さんとお母さんなのだけれど、すごい怒った顔して写ってらっしゃるでしょ。そうとう喧嘩になったらしいのね、それでも官兵衛さんは頑として譲らなかったらしくて、結局折れたお父さんとお母さんがせめて「桐島屋」の屋号が入った看板だけは残してくれ、名前は「志のや」でもいいからという事になったらしいの。そうしたら官兵衛さん、「桐島屋」の看板ひっくり返して「志のや」って掘ってもらって洋館の入り口にかけちゃったの。それでまた、大喧嘩。今度、反対側見てみてね、見難いけどすき間から「桐島屋」って読めるから」
 と教えてくれたのでした。次の日、その騒動の時から今も変わらず掛かっている看板を覗くと、確かに「桐島屋」となっていました。僕が颯くんにこの話を知っているかと聞くと、小さい時にお父さんから聞いたと教えてくれ「おかげで看板と建物が、合ってないよな」とぼそっと言うので僕は笑いを堪える事が出来なくて大変でした。
 僕は、二人がとても好きでした。二人に自分の事は話せなくても、二人の事はもっと知りたかったのでした。二人は、話の端々で「お父さん」と言うのですが、この家にある古い仏壇にはとても颯くんのお父さんでありユキノさんの旦那さんであると思われる男の人の写真はないのでした。官兵衛さんの話の時に見せてくれたアルバムも古いもので、「お父さん」と思われる人は写っていませんでした。僕は、何気なく聞きたいようであり、触れてはいけないようであり、それでも普通に二人の会話の中に登場する「お父さん」の存在が気になってしかたないのでした。

  つづく
by yoseatumejin | 2005-01-07 11:47 | 文/過日(全38回)


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