人気ブログランキング | 話題のタグを見る

過日(08)

「いつもそうだ、いつだって........っ!」
 それがどれだけ僕を傷付けているか分かっているのに!
 僕は自分の言葉に呪われた様に、花寿子を揺さぶり続けていました。その時叫ぶ様な声が聞こえて
「それ以上、花寿子に触るな!」
「!」
 気が付いた時には、僕は吹っ飛んでいました。砂の上なので音はあまりしませんでしたが、かなり飛ばされたようでした。何が起きたのか、と思いながらのろのろと立ち上がって見ると花寿子を守る様に男の子が立っていました。僕は、彼を知っていました。花寿子の同級生の、神田俊夫(かんだとしお)君でした。よく花寿子が家に連れて来ていた友人達の一人でした。僕は、彼の名前を呼ぼうと思ったのですが口の中が切れていて砂だらけだったので声に出せませんでした。
「兄さん!大丈夫っ、兄さん」
 花寿子が僕の元に行こうとするのを、俊夫君は必死で止めていました。それを見て僕は、俊夫君が僕と妹の間で何が起こっていたのか十分承知している事を悟りました。
「離して、俊夫くん!どうして兄さんに手を出したの?どうしてっ?」
 花寿子は必死の声で俊夫君に詰め寄っていました。
「あいつが、お前にひどいことしそうだったからだよ!」
「そんなことしてないっ」
 僕は二人が言い合っているのをただ眺めていました。自分が原因だと分かっているのに、何だか他人事のような気がして、現実味が薄くなって行く感じでした。
「花寿子、お前まだあいつの事が好きなのか?」
「違う。違うよ、ただちゃんと話がしたいの。兄さんとただちゃんと話したいだけなの」
 花寿子は泣いていました。俊夫君に向かって「違うのだ」と言いながら泣いていました。僕はそんな花寿子の涙によって、急に現実に引き戻されて行く感覚を覚えてびっくりしました。僕はこの時初めて、妹が泣いている姿を見たのです。言い争っている二人に、僕はゆっくりと近づきました。ザッザッという砂を踏む音が、しっかりと耳に残る位ゆっくりと近づきました。
 僕が近づいた気配を感じた俊夫君は、花寿子を背中に引き止めると僕の方を向いて
「こんにちは、オレの事知ってますよね。花寿子さんと同じクラスの神田俊夫です。花寿子さんと付き合ってます。だからオレ、すげぇ遠慮がない事言います。花寿子ともう会わないで欲しい。圭介さんがあの家に居たら、花寿子はきっとおかしくなっちまいます。オレはそんなこと死んでもごめんなんです!我儘な事言ってるのは十分承知です。でも、花寿子が不幸になるならオレは容赦しません。話はそれだけです」
 と言いました。俊夫君の背中から、花寿子が心配そうに僕を見ていました。そして、僕は気付いたのです。妹が心配しているのは、僕ではなく俊夫君なんだと。僕が俊夫君を傷付けたら、と不安なのだと分かったのです。それは、僕にとって嬉しい事実でした。妹はいつの間にか、きちんと前を見る事が出来るようになっていたのです。僕は、何故花寿子が僕を追ってここまでやって来たのかその理由をようやく理解したのでした。
「あぁ、妹の事よろしくお願いします。僕はもうあの家に戻ることはありません。」
「兄さん!」
 僕の言葉を聞いて、妹は砂の上にしゃがみ込んでしまいました。
「僕は、僕の罪も君の気持ちも本当はとっくの昔に知っていたんです。それなのに、気付かないフリをしていた。花寿子、ごめんよ」
 僕が俊夫君の方を見ると、俊夫君は複雑な顔をしてそれでも道を開けてくれたのでした。僕は俊夫君に軽く頭をさげると花寿子に近づいて
「僕の話もそれだけです。花寿子、ありがとう。来てくれて、ありがとう」
 とゆっくり噛みしめる様に言いました。僕は自分でも気付かぬうちにほほ笑んでいました。花寿子の、妹の前で僕が笑ったのはこの時が初めてでした。
「兄さんっ、ごめんなさい、ごめんなさい」
 花寿子は立ち上がって僕に抱き付きました。妹と、抱きあう事も初めてでした。僕達はそんな事も出来ないまま、ここまで大きくなってしまったのです。
「花寿子」
 もう一度、ごめんと繰り返す事は出来ませんでした。何故なら僕は、謝る事が出来ないほど彼女を傷付けて来たのです。今更数回謝罪の言葉を述べて、何だというのでしょう。僕は妹の気持ちをとっくの昔に知っていたと言ったけれど、彼女が何故僕を許し続けていたのかそれだけは今でも分からないのでした。
 僕と花寿子はそれから少しだけ話をしました。初めてきちんとお互いを見ていました。
 去っていく二人は、何度か振り返り僕を見ました。僕の方がいつまでも彼らを見ていたからだろうと思います。懐かしい場所へ帰っていく人達。僕が戻ることのないあの家で、妹は一人母と、父と向き合うだろう。僕は、結局最後まで逃げていただけだったなと消えてゆく妹達の姿を見つめて思いました。花寿子の勇気、彼女はどれほどの決心でここまで来てくれたのだろう。俊夫君がいなかったらきっと妹もここに来る事は出来なかったと思うと、俊夫君のその勇気も僕を救ったのだと感じるのでした。さようなら、神様だった花寿子。
 『神様』、僕は皮肉を込めて何度彼女にそう言っただろう。

  つづく
by yoseatumejin | 2005-01-19 10:49 | 文/過日(全38回)


<< 読売日本交響楽団&シンフォニー... 日曜日に、やっとこ初詣に行った... >>