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おてまみセッテ(10)おわり

        七

 玄関の扉を閉めた菜奈子は、おみやげの入った紙袋を片手に持って部屋に戻りながら手紙の宛名を見て吹き出した。
「ひど〜い、お姉ちゃん!」
 手紙の宛名には、たどたどしい字で「ケンタ」「魚子」と書いてあった。ケンタは、健太郎の事なので問題はないだろうが、菜奈子は魚子となっていたのである。
『魚子』
 これは、菜奈子のあだ名である。いや、あだ名と言うのは正しくない。これは和美が中学生位の頃、菜奈子をいじめる時にだけ良く使った名前なのである。『魚子』と書いて『ななこ』と読む(意味は、魚の卵)所から和美は、菜奈子と喧嘩した時など悔し紛れに菜奈子の事を『うおこ!』と呼んでいたのである。
 菜奈子は、健太郎から『ナナコってどう書くの?』と聞かれでもした時に和美が意地悪して『魚の子と書くのよ』などと教えたのだなっと合点した。
「今度健太に会ったら、訂正させなくちゃね!」
 ベットの上にパフンと座ると、菜奈子は健太郎は何と書いてくれたのだろうとわくわくしながら手紙の封を切った。そして、
「自分で封して、自分で開けてるよ」
と一人笑いながら、中から便箋を取り出した。便箋は全部で五枚入っていた。健太郎が一時間も掛けて書いてくれただけあって、力作の様だった。
 四歳の健太郎の手紙がちゃんと理解出来るかなと思ったが、今度会った時に聞いてみればいいかと思い直し菜奈子は読み始めた。
 手紙の書き出しには、やはり『魚子へ』と書いてあり菜奈子は苦笑した。

  魚子へ

ケンタのこと、ひろてくれてありがと。ケンタね、ちやんとてんごくでくらしてるよ。
ケンタね、ちやんとじがかけるようになつたよ。てんしさんが、おしえてくれるんだよ。ケンタね、えらいこだつて、ほめられた。
魚子はやさしかたよ。ケンタ、ねこでもずつと魚子といしよにいたかたね。いしゆうかんしか、いしよにいれなくて、ごめんね。ケンタね、魚子にずつとありがとて、いいたかつたよ。
あのね、ケンタね、魚子がてんごくいきたいていつてたので、こまたの。
だから、てんしさんにおねがいしたの。てんしさんは、「ケンタいいこだから、とくべつだよ」ていつてくれたの。
ケンタね、魚子とあそべてうれしかたよ。
あのね、魚子。てんしさんがね、「魚子は、きつとげんきになるよ。にんげんは、むずかしいきもの。しあわせはひとつじやない。ひとりひとり、べつべつ。だけど魚子はだいじょうぶ」ていつたの。
ケンタ、うれしかたよ。
魚子、ケンタにねなまえつけてくれてありがと。
てんごくね、なまえのないおともだちがいつぱいいるから、みんな、ケンタいいねつて、いつてくれるの。でもね、ケンタは「おんなのこ」なんだつて!だからね、ケンタのなまえおかしいて、みんないじめるけど、ケンタね、ケンタでうれしいよ。魚子がつけてくれたから、すきだよ。
魚子のなまえ、ちやんとかけてるでしよ。てんしさんが、じしよでさがしてくれたの。かんじもおしえてくれたの。ケンタ、いつぱい「れんしゆ」したよ。魚子のなまえ、おいしいなまえだね。
あとね、どんぐりばくはつしたかたね!

  ばいばい魚子

 菜奈子は手紙を読み終えると、声をあげて泣いた。健太郎、いやケンタに負けない位わんわん泣いた。
 そうなのだ。
 姉の和美の子供、健太郎はもう四歳などではなかった。菜奈子が二十歳の時に生まれたのだから、今年で六歳なのだ。どうして、気が付かなかったのか。どうして、不思議だとも思わなかったのか。これが、天国の天使さんの力なのかもしれなかった。
 菜奈子には、天使とケンタが本当に和美と健太郎に見えていた。間違いなどではなかった。本当に、二人は二年前そのままの二人だったのである。
 菜奈子は、猫のケンタが一生懸命練習して綴ってくれた文字達を、もう一度見つめた。それは、ケンタの優しさが形になったものだと菜奈子は思った。
 ケンタは天国で、自分を助けてくれた菜奈子が自分を一週間で死なせてしまったと悔やんでいる事を知って、安心させようとしてくれたのだ。菜奈子が『もう、ケンタの居る天国に行って一緒に楽しく暮らす!』と言ったのを聞いて、大変だと思いその小さな心を砕いてくれたのだ。
「ケンタ、ありがとう。私を心配してくれたんだね....」
 菜奈子はアパートの窓から空を見ると、そう言った。やっぱり、天国は空に在る様な気がした。
『人間は、難しい生物。幸せは一つじゃない。一人一人、別々』
 菜奈子はケンタの手紙に書かれた天使の言葉に、『その通りだ』と苦笑した。それは、『もう、ケンタの居る天国に行って一緒に楽しく暮らす!』などと現実から逃げる言葉ばかりを自分が言っていた事に気が付いたからだった。
「ケンタ、心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
 菜奈子は涙を拭き取ると、ケンタが安心する様にと願ってニコッと笑った。
 天使の和美がくれた『おみやげ』の紙袋を空けると、中にはどんぐりとあの時一緒に忘れてしまったスタンプ台紙が一枚だけ入っていた。『気持ちだけだから、気にしないで』と言って天使の和美が残してくれたそれらは、菜奈子とケンタにとって見れば、何にも代えがたい宝物に他ならなかった。
「もう一枚は、ケンタに渡してくれたんだろうなぁ」
 菜奈子は、天使ってやっぱり優しいんだなと思いながら涙で真っ赤になった目を細めるとくすっと笑った。そして袋に入ったどんぐりを見つめると、
「どんぐり....爆発させてみようかな」
と呟いた。ケンタが目を輝かさせた『どんぐり大爆発』。手紙の最後にまで書く程、心残りだった『どんぐり大爆発』。それをしてあげたかった。
 菜奈子はそう決心すると、ピッ、ピッ、ピッ、と電子レンジをエレック十五分に設定し、『電子レンジ壊れません様に!』と祈りながら切れ目を入れずにどんぐりを一掬い分放り込んだ。
 菜奈子がじーっと見つめる中、電子レンジはいつも通りのグーっと言う音を立てた後温度を上げ始めた。
「こんなに真剣にレンジの中覗くのって、初めてかも....」
 菜奈子はドキドキしながら、点模様の隙間から鈍いオレンジ色に照らされたどんぐり達を見つめ続けた。
 果たして、どんぐりは弾けた音を立てて爆発した。
「わぁー!」
 菜奈子はその音に慌てると、急いで電子レンジの取り消しボタンを押した。そして、
「びっくりしたぁ....、音はそこまでないけど....どんぐりが、爆破されたって感じ?」
と焦る自分を落ち着かせる様に冷静な分析を試みたりした。
 その後、点模様の隙間から中を覗くとどんぐりは見るも無惨な形を成していた。
「冷えてから、扉を空けよう....」
 菜奈子は、落ち着きを取り戻してそう言うとベランダへ出た。
 それは狭いアパートの部屋中に、そこはかとなく秕(しい)た匂いが漂っていたからであった。
「ケンタ、どんぐり大爆発はもうやらないからね」
 菜奈子は少し腫らした目を空を向けると、天国でケンタが泣くか笑うかしてるだろうなと思いながらそう言った。
 菜奈子が見上げた空は、秋の鱗雲がシマ猫のケンタの背中の様に広がり、日差しは明るさの中にも夕方の顔を見せていた。
「残りのどんぐり、煎って美奈に持ってってあげようかな」
 菜奈子はそう呟くと、同僚山田美奈が複雑な顔でどんぐりを食べる姿を想像してくすっと笑った。

   終わり
by yoseatumejin | 2005-07-15 14:28 | 文/おてまみ(全10回)


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