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幸福な大人(02)

『もー最悪、つーかサイテーって感じ。マジ帰りたいッ!』
 多香子が去り、静かになった玄関を確かめる様にテレビの電源を消した後。
 叶子は携帯電話を取り出すと、着信履歴から適当な友達に電話をかけていた。
『最高、笑う!イナカとか行ってっから悪いんじゃん!ジゴーだよ』
『ジゴーとか言うなよバァカ』
『先生!バカって言った奴がバカなんでーす』
『つーか、ふざけんな。マジ最低なんだって、携帯使えるのが奇跡って感じの所なんだから。お陰で携帯が輝いて見えるもん、コレなかったら死んでる。マジでやばかった』
『ハハハ。チョー最高!』
『もー、帰りたい〜。バアちゃんの料理全部茶色いし〜』
『イイじゃん、ソレ。イナカ料理っ!』
『じゃあ、お前食え。つーか、食いに来い』
『イヤ、あたくし綺麗な空気吸うと死ぬし。駄目』
『誰があたくしだよ』
『あたくしってゆったらあたくしよ。つーか、ちょお待ってキャッチ入った』
『最悪〜』
『じゃあね、カノ!生きて帰ってこーい!』
『めっちゃムカツク〜!じゃあね』
 通話を切った後、叶子は画面に向って「ってゆーか、男と遊び過ぎ」と付け足すと一人でケラと笑った。それから何件か『最低、最悪、チョー帰りたい。助けて〜』とほぼ同じ内容のメールを友人に打ち込んで、ふっとやる気をなくしてぼんやりした。
「か、え、り、た、いーぃ!」
 叶子は一週間もこんな田舎に居る予定を立ててしまった過去の自分を、心底恨んでいた。戻れるものなら今すぐ過去に戻ってやり直したい位だった。
『あ〜ぁ、あいつウザいし、バアちゃんと話しても面白くないし....。絶対自分騙されたんだー。最低、あの親』
 画面に表示された十二月二十九日という日付と時刻を確認すると、ポイと携帯を近くに置き叶子はまた寝転がった。
『今日も一日炬燵の中じゃん....』
 兎に角、叶子にとって長く退屈な一日を少しでも短縮するには眠るより他に道がない様だった。


 2) 夜が窓をうつ

「叶子ちゃん、バアちゃんの料理は美味しいか?」
 夕方の五時半。
 叶子にとっては信じがたい様な夕食時間。
 祖母の三好光恵(みよし みつえ)は箸を進める叶子の顏を嬉しそうに見つめると、そんな事を聞いた。
「....うん。美味しいよ」
 『毎回聞かないでよ....』と内心毒突きながら、昨日と同じ返事をする。
「玄関にみかんが一山あったけど、多香子ちゃんが来たのかい?」
「そうなんじゃない?」
 叶子は光恵の口から多香子の名前を聞いて眉根を寄せると、ぶっきらぼうに答えた。
 大体、叶子は多香子の『多香子』という名前自体気に入らなかった。それは自分の母と同じ名前で、田舎のせいかここは『三好』の性が多く、言ってしまえば三好多香子は旧姓ではあるが母と同姓同名なのだった。
『多香子なんて名前だから、家の母親同様口うるさいんだっ!』
 叶子はしっかりと味の付いた煮大根にグッと箸を入れると、イライラをぶつける様に無意味な程小さく切り潰した。
 光恵は不機嫌な顏で大根を細かくして行く叶子の様子に嘆息すると、
「こら、叶子ちゃん。ちゃんと食べなぁ駄目よ」
 と温和な声で叱った。叶子はその声に『あ....』と眼下を見下ろすと、チリヂリになった大根から視線を逸らして
「食欲なくなったから....ごちそうさま」
 と箸を置いた。光恵は、箸と茶碗・小皿を抱えて立ち上がった叶子に「ありがとう、食器は流しの中に置いといてな」と言うと「それから、お風呂入ってらっしゃい」と笑ったが、叶子はそんな祖母の優しい笑顔にバツが悪い気分を味わいながら小さく「うん」と返事をすると光恵に背を向け、心の中で『........全部、多香子が悪いんだ』と呟いて苦々しい顏をした。
 叶子は昼間多香子が言った
『....大変そうだなって思ったの。こんなにのんびりした所に来てるのに、ずっと一人なのに、叶ちゃんいつもイライラしてるんだもん....きっと都会だともっと神経使うんでしょ?だから私、叶ちゃんはいつも無理していろいろ頑張ってるんだろうなって思ったの....』
 という台詞にずっと胸の中で沢山の反論を考えていた。
 イライラしているのはこんな田舎に来てしまったせいだとか、都会に居る方がここよりずっと気楽だとか、色々考えていた。それは、多香子自身への反論というよりも、多香子に突き付けられた台詞達に対する反論だった。
 つまりは、多香子の台詞は叶子にとって『図星』でしかなかった。
『会って三日しか経ってない癖にっ!』
 叶子は、真っ直ぐな瞳で自分を見る多香子に何処か怯えていた。
 まるで野生のカンでもあるかの様にズケズケと、けれど的確に自分の中に上がり込んでくる多香子が、正直怖かった。
『なんなのっ!?』
 叶子の中にある不安やイライラに気が付いている、多香子。
 その事をはっきりと伝えて来る、多香子。
 どんなに乱暴な言葉を使っても怯まない、多香子。
 それは叶子にとって『冗談じゃないっ』相手だった。
「あんたみたいなお節介女、大ッ嫌い!」
 四角く深い青プラスチックの小さな湯船の中で、叶子は湯気の向こうに多香子を見つけたかの様にそう吐き捨てると、ばしゃばしゃと顔を洗った。


 山間の盆地という地形は、夜にあまり静寂をもたらす事がない様だった。
 叶子は風に吹かれて雪と共にカタリカタリと硝子窓を打つ枝先の音を暗闇の中で聞きながら、何十回目か分からない疲れ気味の溜息を吐くと、ゴロと寝返りを打った。
(........)
 布団に潜り込んだ叶子の足元には、光恵がタオル地を使って手作りした袋に包まれ程よい温もりを伝えるアンカが一つ横たわっていたが、叶子の心を解く事までは叶わないらしかった。
(なんで私、こんな所まで来たんだろう)
 叶子は何故、自分がここに来たのか分からなかった。
 取り消したいと思う程、この場所は叶子にとって必要ではなかった。
 田舎だと聞いていたこの家に、今迄は一度だって『行きたい』と思わなかったのだ。
(それなのに........どうして来ようと思ったんだろう....)
 叶子がここに来た事にさしたる理由がなくても、叶子がいつもの生活を切った事に代わりはなかった。
 母のたった一言で、友達の誘いも断って、叶子はここまで来たのだ。
 今年の冬休みも、友達は叶子と遊ぼうと言っていた。友達の延長線上の様な彼氏にも、冬休みはずっと一緒に居ようと言われていた。
 けれども叶子は、そう言ってくれる彼らをありがたいと思いながら、何故か素直に「うん」とは言えずに居た。
『家の親がさ、バアちゃん家に行けっつったんだよねー....だから、多分年末はムリっぽー』
『えー!そうなのぉ〜。カノ居ないとつまんないじゃーん』
『ごめーん!帰って来たらオール付き合うから』
『ホントぉ?』
『マジで!マジっす』
『分かったけどぉ、カノ居なくてもウチ等遊ぶよ?』
『うん。許す!』
『やーだ!なんでカノが許可出しー?』
『はは、一応言っとけ?みたいなー』
 そう言って、叶子は普段自分が満足していた世界から距離を置いた。
 具体的に、誰かに不満があった訳では決してない。
 でも、叶子は彼らの誰もが手の届かない場所に来てしまった。
(もし....ここが家なら、こんな時間....速攻遊びに出てるよ)
 夜の十時にこうして布団に潜り込み、一人暗闇に目を凝らして、叶子に見えているのはただの真黒い空間だった。
 何かなど、なに一つない。
 けれど........それは確かに、叶子が己の意志で望んで得たぽっかりと空いた闇に違いなかった。
「あーッ!カタカタカタカタうるさいなっ!イラつくじゃんか!」
 叶子はまるで先から窓を打っている枝に文句があるかの様に言葉を発すると、がばりと布団に潜り込んで眠った。

  つづく
by yoseatumejin | 2006-09-29 09:57 | 文/幸福な(全12回)


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