カテゴリ:文/おてまみ(全10回)( 10 )

おてまみセッテ(10)おわり

        七

 玄関の扉を閉めた菜奈子は、おみやげの入った紙袋を片手に持って部屋に戻りながら手紙の宛名を見て吹き出した。
「ひど〜い、お姉ちゃん!」
 手紙の宛名には、たどたどしい字で「ケンタ」「魚子」と書いてあった。ケンタは、健太郎の事なので問題はないだろうが、菜奈子は魚子となっていたのである。
『魚子』
 これは、菜奈子のあだ名である。いや、あだ名と言うのは正しくない。これは和美が中学生位の頃、菜奈子をいじめる時にだけ良く使った名前なのである。『魚子』と書いて『ななこ』と読む(意味は、魚の卵)所から和美は、菜奈子と喧嘩した時など悔し紛れに菜奈子の事を『うおこ!』と呼んでいたのである。
 菜奈子は、健太郎から『ナナコってどう書くの?』と聞かれでもした時に和美が意地悪して『魚の子と書くのよ』などと教えたのだなっと合点した。
「今度健太に会ったら、訂正させなくちゃね!」
 ベットの上にパフンと座ると、菜奈子は健太郎は何と書いてくれたのだろうとわくわくしながら手紙の封を切った。そして、
「自分で封して、自分で開けてるよ」
と一人笑いながら、中から便箋を取り出した。便箋は全部で五枚入っていた。健太郎が一時間も掛けて書いてくれただけあって、力作の様だった。
 四歳の健太郎の手紙がちゃんと理解出来るかなと思ったが、今度会った時に聞いてみればいいかと思い直し菜奈子は読み始めた。
 手紙の書き出しには、やはり『魚子へ』と書いてあり菜奈子は苦笑した。

  魚子へ

ケンタのこと、ひろてくれてありがと。ケンタね、ちやんとてんごくでくらしてるよ。
ケンタね、ちやんとじがかけるようになつたよ。てんしさんが、おしえてくれるんだよ。ケンタね、えらいこだつて、ほめられた。
魚子はやさしかたよ。ケンタ、ねこでもずつと魚子といしよにいたかたね。いしゆうかんしか、いしよにいれなくて、ごめんね。ケンタね、魚子にずつとありがとて、いいたかつたよ。
あのね、ケンタね、魚子がてんごくいきたいていつてたので、こまたの。
だから、てんしさんにおねがいしたの。てんしさんは、「ケンタいいこだから、とくべつだよ」ていつてくれたの。
ケンタね、魚子とあそべてうれしかたよ。
あのね、魚子。てんしさんがね、「魚子は、きつとげんきになるよ。にんげんは、むずかしいきもの。しあわせはひとつじやない。ひとりひとり、べつべつ。だけど魚子はだいじょうぶ」ていつたの。
ケンタ、うれしかたよ。
魚子、ケンタにねなまえつけてくれてありがと。
てんごくね、なまえのないおともだちがいつぱいいるから、みんな、ケンタいいねつて、いつてくれるの。でもね、ケンタは「おんなのこ」なんだつて!だからね、ケンタのなまえおかしいて、みんないじめるけど、ケンタね、ケンタでうれしいよ。魚子がつけてくれたから、すきだよ。
魚子のなまえ、ちやんとかけてるでしよ。てんしさんが、じしよでさがしてくれたの。かんじもおしえてくれたの。ケンタ、いつぱい「れんしゆ」したよ。魚子のなまえ、おいしいなまえだね。
あとね、どんぐりばくはつしたかたね!

  ばいばい魚子

 菜奈子は手紙を読み終えると、声をあげて泣いた。健太郎、いやケンタに負けない位わんわん泣いた。
 そうなのだ。
 姉の和美の子供、健太郎はもう四歳などではなかった。菜奈子が二十歳の時に生まれたのだから、今年で六歳なのだ。どうして、気が付かなかったのか。どうして、不思議だとも思わなかったのか。これが、天国の天使さんの力なのかもしれなかった。
 菜奈子には、天使とケンタが本当に和美と健太郎に見えていた。間違いなどではなかった。本当に、二人は二年前そのままの二人だったのである。
 菜奈子は、猫のケンタが一生懸命練習して綴ってくれた文字達を、もう一度見つめた。それは、ケンタの優しさが形になったものだと菜奈子は思った。
 ケンタは天国で、自分を助けてくれた菜奈子が自分を一週間で死なせてしまったと悔やんでいる事を知って、安心させようとしてくれたのだ。菜奈子が『もう、ケンタの居る天国に行って一緒に楽しく暮らす!』と言ったのを聞いて、大変だと思いその小さな心を砕いてくれたのだ。
「ケンタ、ありがとう。私を心配してくれたんだね....」
 菜奈子はアパートの窓から空を見ると、そう言った。やっぱり、天国は空に在る様な気がした。
『人間は、難しい生物。幸せは一つじゃない。一人一人、別々』
 菜奈子はケンタの手紙に書かれた天使の言葉に、『その通りだ』と苦笑した。それは、『もう、ケンタの居る天国に行って一緒に楽しく暮らす!』などと現実から逃げる言葉ばかりを自分が言っていた事に気が付いたからだった。
「ケンタ、心配かけてごめんね。もう大丈夫だよ」
 菜奈子は涙を拭き取ると、ケンタが安心する様にと願ってニコッと笑った。
 天使の和美がくれた『おみやげ』の紙袋を空けると、中にはどんぐりとあの時一緒に忘れてしまったスタンプ台紙が一枚だけ入っていた。『気持ちだけだから、気にしないで』と言って天使の和美が残してくれたそれらは、菜奈子とケンタにとって見れば、何にも代えがたい宝物に他ならなかった。
「もう一枚は、ケンタに渡してくれたんだろうなぁ」
 菜奈子は、天使ってやっぱり優しいんだなと思いながら涙で真っ赤になった目を細めるとくすっと笑った。そして袋に入ったどんぐりを見つめると、
「どんぐり....爆発させてみようかな」
と呟いた。ケンタが目を輝かさせた『どんぐり大爆発』。手紙の最後にまで書く程、心残りだった『どんぐり大爆発』。それをしてあげたかった。
 菜奈子はそう決心すると、ピッ、ピッ、ピッ、と電子レンジをエレック十五分に設定し、『電子レンジ壊れません様に!』と祈りながら切れ目を入れずにどんぐりを一掬い分放り込んだ。
 菜奈子がじーっと見つめる中、電子レンジはいつも通りのグーっと言う音を立てた後温度を上げ始めた。
「こんなに真剣にレンジの中覗くのって、初めてかも....」
 菜奈子はドキドキしながら、点模様の隙間から鈍いオレンジ色に照らされたどんぐり達を見つめ続けた。
 果たして、どんぐりは弾けた音を立てて爆発した。
「わぁー!」
 菜奈子はその音に慌てると、急いで電子レンジの取り消しボタンを押した。そして、
「びっくりしたぁ....、音はそこまでないけど....どんぐりが、爆破されたって感じ?」
と焦る自分を落ち着かせる様に冷静な分析を試みたりした。
 その後、点模様の隙間から中を覗くとどんぐりは見るも無惨な形を成していた。
「冷えてから、扉を空けよう....」
 菜奈子は、落ち着きを取り戻してそう言うとベランダへ出た。
 それは狭いアパートの部屋中に、そこはかとなく秕(しい)た匂いが漂っていたからであった。
「ケンタ、どんぐり大爆発はもうやらないからね」
 菜奈子は少し腫らした目を空を向けると、天国でケンタが泣くか笑うかしてるだろうなと思いながらそう言った。
 菜奈子が見上げた空は、秋の鱗雲がシマ猫のケンタの背中の様に広がり、日差しは明るさの中にも夕方の顔を見せていた。
「残りのどんぐり、煎って美奈に持ってってあげようかな」
 菜奈子はそう呟くと、同僚山田美奈が複雑な顔でどんぐりを食べる姿を想像してくすっと笑った。

   終わり
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by yoseatumejin | 2005-07-15 14:28 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(09)

        六

 アパートの階段を登ると、和美が扉の前に立っていた。
「お姉ちゃん、早かったね」
「えぇ。もうすぐ、菜奈子もお手上げになるかなって思って」
「良くお分かりですわ」
 菜奈子は図星を当てられて、苦笑するとそう言った。健太郎はもう、菜奈子の手を離して和美にピタッとくっついていた。菜奈子はその姿にクスリと笑うと、
「健太〜。やっぱりママがいいのね」
と言ってからかったが、健太郎は困った様に違う違うと首だけ振った。
「お姉ちゃん、牛乳プリン作ったから帰る前に食べて行ってよ。健太も、牛乳プリン食べるんだもんね」
「たべる!ママ、いいよね?」
 健太郎は菜奈子の言葉にうんと頷くと、和美を見上げておねだりした。和美は、自分を見上げる健太郎の頭をくしゃと撫でると
「じゃあ、ご馳走になろうかな」
と菜奈子に笑いかけた。
 三人で牛乳プリンを食べ、しばらく話をしているとピピッと壁掛け時計が鳴った。見ると、午後の三時を指していた。
「そろそろ帰るわね。菜奈子、色々ありがとう」
 和美は立ち上がると、菜奈子にそうお礼を言った。
「こっちこそ、凄く楽しかった。ここの所、ちょっと、本当にちょーっとだけど、元気なかったんだ。だから、健太と遊べて気分転換になったよ」
 菜奈子は照れて笑いながらそう答えると、健太郎に視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。
「健太、私と一杯遊んでくれてありがとう。すごく嬉しかったよ」
「ボクもね、ナナコとあそべてたのしかった!ありがと、ナナコ」
 健太郎はそう言うと菜奈子にきゅっと抱き付いた。そして、秘密のカバンから手紙を取り出すと
「ナナコ、おてまみちゃんとよんでね」
と手渡した。
「ありがとう。お返事書くね」
 菜奈子が受取りながらそう言うと、健太郎はいらないという風に首を振った。
「そっか。じゃあ、ずっとずっと大切にするね」
「うん」
「それじゃあ、菜奈子。帰るから....あ、これ。あなたへのおみやげよ」
 和美はふっと思い出した様で足を止めると、入る時に玄関先に置いた紙袋を指差してそう言った。菜奈子は、
「別に、そんな気を使わなくても良かったのに」
と呟いたが、和美は
「気持ちだけだから、気にしないで」
と言ってニコッと優しく笑った。菜奈子は『お姉ちゃんって、やっぱりしっかりしてるなぁ』と思いながらうんと頷くと、
「ありがとう。じゃあ、もらっとくね」
と笑い返した。
「ナナコ、ばいばい」
「健太もバイバイ。お姉ちゃんもバイバイ」
「えぇ、本当にありがとう菜奈子」
 菜奈子は玄関で別れた後、二人が道の角に消えるまで見送った。
 健太郎は、角へと消える瞬間振り返ると、
「ナナコ!おてまみ、ちゃんとよんでねー」
と遠くから叫んだ。菜奈子は消えて行く健太郎に大きく手を振ると、
「分かったー!」
と返事をした。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-07-05 14:42 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(08)

 一時間後、健太郎は手紙を書き終えると、
「ぜったい、みちゃだめ!」
と言いながら、菜奈子への手紙を菜奈子自身に糊付けさせた。菜奈子は封をする間中
「ちょっと見たいな〜、ちょっとだけ見たいな〜」
と健太郎におねだりしたが、健太郎は
「だめ!」
と絶対に見せない心積もりの様だった。中身を見る事を諦めた菜奈子は、ちぇっと悔しそうな顏を作って見せた後、
「ねぇ、健太。ここに私の名前と、こっちに健太の名前を書いて」
と封筒に宛名を書いてもらう事を提案した。健太郎は、菜奈子の提案に
「いいよ」
と清まして答えると
「でも、みちゃだめだからね!」
と付け足して、ばっと手紙を奪い取った。菜奈子は、
「えー!それも見ちゃだめなの〜」
と齢四歳相手に暫し駄々を捏ねてみたが
「ぜったい、だめっ!」
と結局却下されてしまったのだった。
 二人は、お昼を食べ終えると散歩に出かけた。アパートの近くの公園は、シーソーとすべり台しかなく昼過ぎだという事もあり他の子供達の姿を見る事はなかった。二人は暫くシーソーをして遊んだ後、すべり台に行った。が、健太郎はすべり台を『すべる』事が怖い様だった。菜奈子は、
「こわい」
「こわい」
と小さく呟きながら、滑らずにズリズリと音を立ててずり降りて来る半泣きの健太郎の姿に、『昨日のアスレチックで、すべり台に行こうと言わなかったのはこういう事ね』と合点して
「健太、おかしー!」
と大笑いした。あっけらかんと菜奈子に笑われてしまった健太郎は、
「ひどいぃ」
と帰る道々そう言って泣いた。
「ごめんってば。健太が可愛くって、ついつい笑ったの」
 菜奈子は『しまった、また泣かせた』と途方に暮れながら健太郎に謝ったが、健太郎は菜奈子の顔を見上げてると、
「ひどいぃ」
とまたまた泣いたのだった。
 菜奈子はそんな健太郎の姿に『もうこの手しかないわね』と心に決めると
「うん、酷かったね。でも、機嫌直して健太。帰ったら、牛乳プリンが健太を待ってるよ!だからもう泣かないで、ね」
と慰めた。健太郎はそう言われて、しゃくり上げながら暫く恨めしそうに菜奈子の顔を見上げた後、
「もうわらっちゃやだからね!」
と言った。そして、健太郎の許してくれそうな気配に一も二もなく頷いて『うん、分かった!もう絶対笑わないよ』と言った菜奈子の姿に安心した様で、
「わかった....もうなかないもんね」
と約束通り泣くのを止めてくれたのだった。菜奈子は機嫌を直してくれた健太郎の手を引きながら、心の中でホッと胸を撫で下ろし大人の最終手段『モノで釣る』が成功して良かったと安堵したのであった。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-06-27 14:07 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(07)

        五

 日曜日。
 健太郎は昨日の疲れなど知らぬ顔で、朝早くから筋肉痛に苦しむ菜奈子に布団の上からのしかかると
「プレスだー!」
とはしゃぎ回った。菜奈子は『健太、あんたプレスの意味知らんでしょ』と心の中でツッコミながら布団から顏を出すと、
「それ、パパが健太にするの?」
と聞いた。健太郎はそんな菜奈子に
「みんなでするー!」
と答えると、嬉しそうにキャッキャと笑った。
「幼稚園、結構ヘビィな職場なのね....」
 菜奈子はみんなで先生をプレスしている園児達の姿を想像してそう呟くと、自分の上に必死で立ち上がり顔面目がけて倒れて来ようとしている健太郎を発見し、慌てて『プレス禁止令』を発令したのだった。
 その後。朝ご飯を食べ終えた健太郎は、昨日菜奈子に買ってもらった『にゃんこランド★天使にゃんこ』レターセットを持って来ていた秘密のカバン(ただのリュック)から取り出すと、ニコニコと笑いながら
「ナナコ、えんぴつ!」
と言った。菜奈子は洗い物の手を止めて振り返ると、
「お手紙書くの?健太」
と聞いた。
「うん!」
「そっか、健太字が書けるんだ。エライね」
「かけるよ」
 健太郎は、菜奈子に『字が書けるんだ』と褒められて嬉しかった様で清ました声でそう答えるとヘヘンという顏をした。菜奈子はそんな健太郎の仕草が可愛くてクスと笑うと、
「だれにあげるの?ママ?パパ?それとも、お友達かな?」
と聞きながら、床の上にバラバラとぶちまげられて行くレター用紙を避け避けえんぴつを渡した。健太郎は、ひょいひょいと移動して来る菜奈子の姿が可笑しかった様でクスクス笑うと、えんぴつを受取りながら
「ナナコにあげるの。だから、みちゃだめだからね!」
と言った。菜奈子は健太郎のそんな一言が嬉しくて
「分かった!」
と頷くと『う〜、やっぱりこういう時、パパママを差し置いて自分だって言われると嬉しい!』と心の中でほくほくしながら
「じゃあ、健太。お礼に牛乳ゼリー作ってあげるね!」
といそいそと台所に戻ったのだった。
 菜奈子が牛乳ゼリーを作りながら部屋をチラと覗くと、健太郎は言葉通り台所に背を向けて一生懸命に菜奈子宛の手紙を書いている様だった。菜奈子はその背中を『うわぁ、書いてる、書いてる』とニコニコ笑いながら見守ると、
「健太!頑張れ!」
と少し的を獲てない声援を贈ったのだった。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-06-21 11:05 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(06)

        四

 帰りの電車の中。
 健太郎は、どんぐり忘れて来ちゃったみたいと菜奈子に言われ、
「どんぐり....ばくはつしたかったなっ」
と悲しい顔で残念そうに何度もこう言った。アパートでのどんぐり大爆発は御免被りたい菜奈子であったが、健太郎が深く意気消沈してしまったので段々可哀相になってしまい、
「ごめんね、健太」
と心から謝った。事実、菜奈子の良心はその呵責に嘖まれていたりした。健太郎は、菜奈子に謝られてぶんぶんと首を振ると、
「しょうがないもんね!」
と半分諦めが付いている様でそう言った。菜奈子はそんな健気な返答に、健太郎がこのまま沈みまわしていては可哀相だと、
「健太、何か欲しいもの一個だけ買ってあげようか?」
と提案した。健太郎は『本当?』という様に嬉しそうな顏をすると、
「あのね、あのね、おてまみセッテがいい!」
と答えた。菜奈子は
「おてまみセッテ?」
と繰り返して『何の事か、意味が分からないんですけど....』と心の中で呟いたのであった。
 電車を降りた菜奈子は、早速謎の品『おてまみセッテ』の手掛かりを見つけるべく健太郎に
「健太、おてまみセッテってどこに売ってるのかな?」
と聞いた。健太郎はそんな菜奈子の質問に、『えっと....』と少し考えた後、
「スーパー!」
と答えた。
 菜奈子はそれを聞いて、『それって、アニメのお菓子か何かなの?』と思いつつ
「スーパー....。それって、どこのスーパーでも売ってるの?」
と確認し、健太郎は大きくうんと頷いた。
 スーパーに入った菜奈子は、健太郎の脳が『どんぐり』を忘れて『おてまみセッテ』に切り替わってくれた様だと安心しながら入口でくるりと辺りを見回すと
「どの辺にある?お菓子売場?」
と尋ねた。健太郎は、その言葉にお菓子ではない様で違うと首を振った。でも、初めて入ったスーパーは勝手が違うのか、その目的の品『おてまみセッテ』が何処に有るのかは分からない様だった。菜奈子はそんな健太郎の様子から、
「じゃあ、ぐるっと見てみようか」
とスーパー内を一周する事にした。そして、半分程回った所で健太郎が
「あった!」
と指差したのは、何の事はない『レターセット』のコーナーだった。つまり『おてまみセッテ』とは『おてがみセット』の事だったのである。
「ああ、これかぁ」
 菜奈子は『言われてみると、分かるんだよねぇ』と苦笑いすると
「健太、どれにする?」
と聞いた。健太郎は菜奈子にそう聞かれ、しばらく『うーん....』と悩んだ後、
「これ!」
と一つのレターセットを指差した。健太郎が元気よく選んだそれは、『にゃんこランド★天使にゃんこ』なる可愛らしい天使の羽を付けた猫のイラストが描かれているいかにも女子小中高生向けなレターセットだった。菜奈子は、健太郎の選んだレターセットを見つめると『スーパーにあるレターセットって、無地かこういうのばっかりよね』と思いながら、他に何の言葉も思い浮かばず
「健太、猫さん好きなんだね」
と言うとニコッと微笑んだ。健太郎は、
「うん、すき!」
と素直に答えると、レジへ持って行くために菜奈子から渡された『にゃんこランド★天使にゃんこ』レターセットを抱えて嬉しそうに笑ったのだった。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-06-07 11:20 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(05)

 午後、菜奈子と健太郎は『わんぱくコース』なるルートを順々に制覇してスタンプを捺印して行くアスレチックへ行く事にした。
 あの後、暫く大泣きしていた健太郎であったが、菜奈子の『泣きやんだら、アイス』の一声でケロッと機嫌を直していた。菜奈子は現金に物に釣られた健太郎にクスと苦笑すると『今度から、急な所で走っちゃ駄目だからね』と注意して、綺麗に丘を転げた健太郎の姿を思い出して一人でカラカラと笑ったりした。
 だがその後、菜奈子は健太郎を笑った事を後悔した。それは、健太郎のためにと選んだ小さな子供向けのコースである『わんぱくコース』を自分もやる破目になったからであった。菜奈子に一人でカラカラと笑われた健太郎は、反撃のチャンスを狙っていたらしくコースの入口に着くと『ナナコもちゃんとやるの!』と駄々っ子攻撃に出たのである。菜奈子は健太郎の申し出に一瞬『多分、目立つよねぇ....』と思い止まったが、健太郎のお願い光線に負けて一緒にやるのも楽しかろうと『いいよ』と頷いてしまったのであった。が、現実はやっぱり恥ずかしい事この上なかったりした。
「わんぱくって言うだけあって、キツイ!」
 菜奈子は、後ろからやって来る子供に時々ズボンを掴まれながら丸太を渡りつつ、色々な意味でそう言った。それは、小さな子供向けコースだけあって何でもかんでも大人には小さく逆に遣りづらいからであり、他の親達が子供の手を引いて地面をたらたら移動している中、自分一人が一度健太郎を支えて渡った後子供達に混じってへし合い押し合いしなければいけないからでもあった。
 しかも、一つやる度に『ぜんぶできるかな?』なんて書いてあるスタンプ台紙にスタンプを押すために列に並ばなくてはならないので、健太郎が側に居るとは言っても恥ずかしさは絶大だったのである。
「健太。私もう、ずっごく恥ずかしいんだけどぉ....」
 菜奈子は、わくわく顔で順番を待っている健太郎の後ろに立つと懇願する様にそう言ってみたが、
「だめっ。ナナコもちゃんとやるの!」
と健太郎はあっさり却下してくれたのだった。
 そして一時間後。菜奈子はやっと『わんぱくコース』という名の『恥ずかし地獄』から出られた事にホッと胸を撫で下ろした。
「疲れた....」
 菜奈子は健太郎の手を引きながら、そう呟いて嘆息した。健太郎はそんな菜奈子にニコッと笑いかけると、
「たのしかったね、ナナコ!」
と嬉しそうな顏をした。
「うん....たのしかったーぁ〜あ....」
 菜奈子は嬉しそうな健太郎の笑顔にやる気なげにそう答えると、曖昧な渇いた笑いを零したのだった。
 出口を過ぎた所で
「お疲れ様でしたぁー」
と声をかけられた菜奈子は『はい?』と振り返った。見ると、そこには入口でさわやかに二人を見送ってくれた(事の成り行きをご存知の)お兄さんが立っていた。さわやかお兄さんは同情を込めた笑顔で菜奈子を見つめると、もう一度
「お疲れ様でした」
と言った。菜奈子は、そのニカッとした同情の笑顔に困った様に笑い返すと、
「どうも〜」
と返事を返した。さわやかお兄さんは、菜奈子の返事に大きくニッコリ頷いた後、視線を下に動かして『お子様向けサワヤカスマイル』を健太郎に向けると
「ちびちゃんも、がんばったねぇ」
と笑った。そして、健太郎が自信満々で差し出したスタンプ台紙二枚を受け取ると、
「凄いね、全部できたんだー」
と健太郎の頭をカイグリカイグリした。
「うんっ」
 健太郎は褒められて嬉しかった様でこくと頷くと、菜奈子のズボンをちょっと摘んで含羞んだ。菜奈子は、先まで自信満々だったのに褒められて急に照れ出した健太郎が可愛くて、
「健太、本当に頑張ったもんね」
と言うと、自分の後ろに隠れている健太郎の頭をなでなでしたのだった。
 それから二人は、『やったね!かんぜん、せいはだ!』という文字が踊るスタンプを押してもらったスタンプ台紙二枚と、参加賞のどんぐり一袋をもらった。
 さわやかお兄さんは二人にそれらを渡すと
「このどんぐり、食べられるんですよ。でも、電子レンジでチンする時は切れ目入れて下さいね」
と補足した。菜奈子はその説明に、『たぶん食べないな』と思いながらも
「入れないと、どうなるんですか?」
と社交辞令の意味もあって質問した。が、菜奈子の質問を聞いたさわやかお兄さんは、少しサワヤカさを残しつつもニヒルな笑みでもって
「爆発しますよ」
と楽しそうに答えたのだった。それを聞いた菜奈子は、胸の内で一瞬『えっ....爆発っ!?』と思った後、慌てて健太郎の顏をバッと見つめた。....案の定、菜奈子が見た健太郎の瞳はキラキラと輝いていた。
「ばくはつ〜!?」
「そうだよ、爆発しちゃうんだよ」
「ほんとに!?」
「本当だよ」
 菜奈子は、そんな危険極まりない会話に慌てて健太郎の手を引くと
「じゃあ、帰ろうか。健太」
とニッコリ笑い、さわやかお兄さんにも大人の礼儀として一礼し、心の中で『絶対、このどんぐりどっかに忘れた振りして捨てる!』と誓ったのだった。
 結果、菜奈子の誓いは達成された。
 菜奈子はロッカーから荷物を取り出す時に、『うっかり!カバンの中に入れたと思ってたどんぐり達が、実は入ってないわ!アラ大変、忘れちゃったね大作戦』を展開したのである。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-05-31 15:14 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(04)

 秋晴れの空は高く、時々横切る雲に太陽を隠されたりしながらも穏やかな日差しを地上に降ろしていた。菜奈子はそんな明るい空の下、あちこちで楽しそうな歓声をあげながらお昼を楽しんでいる家族連れを眺めると
「みんなも、ご飯食べてるね」
と健太郎に話しかけた。健太郎は菜奈子の言葉に、眼下でお弁当を広げて居る数家族を見つめると、
「わんわも、いるね」
と言って、小さなコーギー犬を連れた家族を指差した。
「本当だねー、動物も一緒で良いんだね」
「わんわ、かわいいね」
「可愛いね」
 菜奈子は、小さな短い足で楽しそうに家族に戯れ付いているコーギーを見つめてそう言うと、
『もしケンタが生きてたら、一緒にああやって遊べたのにな....』
と不意にケンタを思い出しクシュっと泣きそうな気持ちになった。
 菜奈子が子猫に『ケンタ』という名前を付けたのは、健太郎にあやかっての事だった。元気で、明るくて、素直な健太郎。ケンタも、健太郎の様な良い子に育って欲しいなと菜奈子は心の中で願っていたのである。もしあのまま死んでしまわなければ、今日だって二人と一匹で楽しい休日を満喫出来たかもしれなかったのだ。
『ケンタ、ごめんね。楽しい事一つもしてあげられなかったね。美味しいごはんも、食べさせてあげられなかったね。ごめんね』
 菜奈子はそう心で謝罪すると、自分の目の前で荒かった息がふっと止まってしまったケンタの最後の姿を思い出して視線を落とした。
 健太郎は突然ぼんやりと無口になった菜奈子の顔を覗き込むと、
「ナナコ、どっかいたいの?」
と言った。菜奈子はその声にハッと我に返ると、心配そうに自分を見上げている健太郎の視線とぶつかって
「あ、ううん。全然平気、元気だよー」
と内心健太郎を不安にさせた事を反省しながら慌てて首を振った。健太郎はそんな菜奈子に、
「うそはだめだよ」
と『この子は、全て分かっているのでは?』と大人に思わせる子供特有の真剣な眼差した。菜奈子はその眼差しに少し困った顏をした後、
「健太....」
と名前を呼んだ。健太郎は、菜奈子に
「ママが、うそつきはだめってゆーもん」
と諭す様な口調でそう繰り返した。菜奈子はその言葉に『お姉ちゃんって、偉いなぁ』と和美の顏を思い出した後、
「うん、ママは正しいね。ごめんね、健太。この前、猫さんを拾ったのね。でも、猫さん弱ってたからすぐに死んじゃったの。それでね、今みんなを見てたらね、あぁ、その猫さんをここに連れて来てあげたかったなって思って、悲しくなっちゃったの」
と健太郎にも分かるように自分の気持ちを説明した。
「ネコさんに、なまえつけた?」
「うん。ケンタって名前だよ。健太みたいに、元気で良い子になりますようにって思って付けたの」
 健太郎は、自分と同じ名前だと知って親近感を持った様でふわと嬉しそうな顏をすると、
「ケンタ、いいこだった?」
と首を傾げた。菜奈子は、うんと頷くと
「もちろん。すぐに死んじゃったけど、ケンタは健太と同じでとっても良い子だったよ」
と言って『健太にも、会わせたかったよ』と付け足した。
 健太郎は菜奈子に
「ぼくもあいたかったな」
と答えると、にこっと笑った。菜奈子はその笑顔に釣られる様に微笑むと、
「ありがとう、健太」
とお礼を言いペコリと頭を下げた。それは、小さな健太郎が自分の気持ちを分かろうとしてくれている事と、ケンタの事をこんな風に話せた事が嬉しかった事への感謝の気持ちだった。健太郎は菜奈子のお礼の言葉に嬉しそうに小さく含羞んだ後、きょろきょろと辺りを見渡して
「ナナコ、あっちにネコさんいるよ」
と自分達からは少し遠い場所に猫を連れて来ている家族を発見して指差した。菜奈子は健太郎の指差した先に視線を送ると、
「本当だね。猫さん居るね」
と頷いて微笑んだ。健太郎はその笑顔に何かピンと来た様で、嬉しそうに立ち上がると、
「いってみよ!ナナコ、いこっ」
と菜奈子の腕を引っ張った。そして脱いでいた靴を履くと『そうだね』と頷いた菜奈子を急き立てながら、芝生へと走り出たのだった。菜奈子は自分の方に顔を向けて駆け出した健太郎に、
「健太、走っちゃ駄目!」
と慌てて叫んだが、時同じく健太郎はなだらかな芝生の丘を前転で三回転半したのであった....。
「あちゃ....」
 菜奈子は顔に手をあてて小さくそう呟くと
「ワーッ!!」
と大声挙げて泣いている健太郎に駆け寄った。どんなに良い子だって、痛けりゃ泣くのは当然の事の様だった。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-05-18 11:43 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(03)

        三

 土曜日、二人は『みどりのアスレチックランド』なる運動公園施設に手作りのお弁当を持って出かけた。みどりのランドは、秋晴れのお陰か沢山の子供達とその親で溢れ、あちこちで楽しそうな歓声が挙がっていた。
 菜奈子も荷物をロッカーに預けると、元気に走る健太郎と一緒になって、アリジゴクだのゆらゆらロープだの紐のジャングルジムだのを『のぼう』たり『おりう』たりした。
「ナナコ、つぎのあっち!」
 健太郎若干四歳は元気にお得意のジャングルジムに登ると、頂上から次の遊具を指差した。が、菜奈子はちょこまかと動き回る健太郎を追っかけては落ちやしないかとハラハラしたりで、さすがに付き合いきれなくなり、
「もうお昼にしようよ、健太〜」
と泣き付いた。確かに、菜奈子の言う様に時間は昼の十二時を過ぎていた。健太郎は菜奈子の返答に『そうなの?』という顏をした後、ジャングルジムを降りると、
「とけいみせて!」
と菜奈子の左手をひっぱり腕時計を覗き込んだ。まだ文字盤は読めないが針の位置でおおよそ十二時過ぎだと分かったらしく、健太郎は菜奈子の左手を開放すると
「いいよ」
とお昼にする事を了解した。
 菜奈子は、『みどりの広場』と書かれた人工で作られた広い芝生の丘に、レジャーシートを広げると朝から頑張って作った力作のお弁当を並べた。健太郎は菜奈子に渡されたお手拭きで手をごしごしすると、並べられたお弁当を見つめて
「おいしそぉ〜」
と嬉しそうな声をあげた。
「ありがとう健太。そう言ってもらえると、頑張ったかいがあったよぉ」
 菜奈子は素直に自分のお弁当を褒めてくれた健太郎に上機嫌にそう答えると、『これがのり巻きウインナーで、こっちがからあげと玉子焼き。それはキャベツの中にミックスベジタブルが入ったキャベツロールで、デザートは秋の味覚梨だよー』とお弁当の中身を説明した。健太郎は『へぇ』とか『すごーい』と感嘆した後、沢山並んだ三角おにぎりを指差すと
「おにぎりは、シャケさん?」
と聞いた。菜奈子はそんな素朴な質問に、待ってましたという顏をすると
「おにぎりは、『ロシアンオニギリ』にしてみました〜!つまりね、シャケさんが入ってるおにぎりもあれば、違う変な具が入っているおにぎりもあるのだ!」
と健太郎にも分かる様に詳しく答えた。健太郎はその言葉に少し不安気な視線を投げると、
「へんなぐってなぁに?」
と聞いた。
「大丈夫!ハズレだって、食べられるものしか入ってないからね」
 菜奈子は不安気な健太郎にニコッと笑いかけるとそう言って、『健太、どれ選ぶ?』と早速選択を迫ったのだった。
 菜奈子にニコニコ顔で『選べ』と言われ、何度か迷いながらも右端のおにぎりを掴んだ健太郎はしばらくじっと手元のおにぎりを見つめた後、ぱくりと口にした。菜奈子は、朝から頑張って作ったロシアンオニギリを食べる健太郎にわくわくした目を向けると
「おにぎり、何が出た?」
と嬉しそうな声で聞いた。健太郎は具が見えるまでもぐもぐもぐと食べて、欠けたおにぎりを見つめると
「?....ちっちゃいおさかな?」
と言った。それを聞いた菜奈子は、やったという顏をした後
「おぉ、ハズレのいりこだ!わーい、健太ハズレ〜!」
とお子様にも容赦なしな喜び方をしたのだった。ロシアンオニギリとは言え子供が食べるのだからもっと楽しいハズレを作ってあげればいいものを、と思わないでもないが菜奈子の中では『全然オッケー』な様だった。
「ボク、いりごすきだもん。おさかなたべると、えらいこになれるって、ママいうもん。だから、ハズレじゃないもんね!」
 健太郎は、菜奈子にハズレと言われて悔しかった様でそう言い返すと
「ナナコもたべるの!」
とロシアンオニギリを指差した。菜奈子はそんな健太郎に『いいよ』と自信満々に答えると、ひょいと右上のおにぎりを選んでぱくぱくと食べた。
「なに?なに?」
 健太郎は平然とおにぎりを食べる菜奈子を見上げると、興味津々という顏をした。菜奈子は、『なんだろうね?』と視線で答えながら何口か食べた所でピタと止めると
「大ハズレの生わかめだった....」
と悲しい顏をしたのだった。全くもってロシアンオニギリのハズレは、ロクでもないものばかりらしかった。健太郎は悔しさ半分悲しさ半分といった菜奈子の顏を見ると、楽しそうにケラケラ笑って
「ぼくのはいりこだもんね!」
と言い、『ハズレ・いりこおにぎり』を美味しそうにぱくぱくと最後まで食べたのだった。
「健太はエライなぁ。本当に、良い子だよぅ」
 菜奈子は自分の『大ハズレ・生わかめおにぎり』に視線を落として苦笑した後そう言うと、健太郎の頭をカイグリカイグリした。
 暫時。お弁当を食べ終えた健太郎は、
「ごちそうさまでした!」
と和美の教育が良い様でちゃんと手を合わせた。菜奈子は健太郎に
「はい、おそまつさまでした」
と答えると、『お腹一杯だから、しばらく休憩しようか』と提案してレジャーシートの上でしばらく寛ぐ事に決めた。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-05-17 10:40 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(02)

 それから三ヶ月。
 さすがに、菜奈子はずっと泣きっぱなしではなかった。一ヶ月程は浮かぬ顔ばかりしていたが、二ヶ月目には時々思い出して落ち込む程度で普通の生活を送っていた。
 ただ三ヶ月目、先週の日曜日。菜奈子は四年間付き合った彼氏に、二股掛けられた上捨てられてしまったのである。菜奈子の彼氏を取ったのは、二十歳の女子大生であった。彼氏は菜奈子に、『これは浮気じゃない、二股だ!二股はやっぱりいけない事だと思うから、お前と別れる』なる不可思議な言い訳を吐いた。菜奈子はそんな彼の言い分に心の中で半ば呆れながら、
「貴男みたいな男、こっちから願い下げだわ!」
と言い返すとビンタを往復三発喰らわしたのだった。
 つまり今現在、菜奈子はそんなこんなで目の前の悲しい気持ちからケンタが死んだ時の事を思い出し、『もう、ケンタの居る天国に行って一緒に楽しく暮らす!』などむちゃを言い出して同僚山田美奈を困らせているのであった。

        二

 就業後、菜奈子は会社の門を出た所で
「菜奈子!」
と名前を呼ばれた。菜奈子はその聞きなれた声に顏を向けると
「あ、お姉ちゃん!」
と少し驚いた声をあげた。門の前に立っていたのは、菜奈子の姉一宮和美(いちみや かずみ)だった。結婚しているので名字が変っているが、実の姉である。和美は、四歳になったばかりの一人息子健太郎(けんたろう)を連れていた。菜奈子は健太郎の姿を見留めるとニコッと笑って「こんばんは、健太」と挨拶し、姉の和美に
「どうしたの?連絡もなく会社まで来るなんて」
と聞いた。
「ちょっと、健太を預かって欲しくって」
「お母さんは?」
「お父さんと旅行に行っちゃってて、掴まらなかったのよ。実はね、良夫(よしお)さんの義父さんと義母さんが、今さっき車で走ってて後ろから追突されたらしいの。命に別状はないんだけど、全身打っちゃってて二人共大事を見て入院したのよ。良夫さんが今病院で手続きしてるんだけど、私は実家に二人の荷物を取りに行かなくちゃいけなくて。だから菜奈子に健太を預かってもらおうと思って寄ったの。ここ、実家に行く途中だから連絡するより連れて来た方が早いと思って待ってたのよ。ごめんね、突然で」
 和美は少し早口になりながらそう説明すると、自分の足下に纏わり付いている健太郎の頭を二三度撫でた。菜奈子はそんな和美の手に視線を写した後、
「何日位?」
と聞いた。
「今日から土・日と預かってくれないかしら。日曜の三時までに迎えに行くから。無理なら、健太も連れて行くから気にしないでも良いわよ」
「別に健太預かるのは全然良いよ。けど、そっちの手伝いはしなくていいの?」
「えぇ。良夫さんと私が居れば、こっちは問題ないわ」
「うん、分かった」
「よろしく。突然でごめんね」
 和美はそう言うと健太郎を菜奈子に預けて、駅へと去って行った。菜奈子はそんな和美を健太郎と一緒に見送った後、
「今日から日曜までよろしくね、健太」
と健太に笑いかけた。健太郎は菜奈子にこくんと頷くと、
「うん!」
と元気な返事を返したのだった。
 健太郎と二人で家に帰った菜奈子は、色々と珍しい物が有ると見えて子虎の様に部屋の中をぐるぐるぐるぐる回っている健太郎に
「健太、健太。明日はどこかに遊びに行こうね。どこが良い?」
と聞いた。
「みどりのランド!ボクね、ジャングルジムのぼうの、とてもじょうずなの」
 健太郎は、棚の上にあった手鏡を覗き込むのを止めると、菜奈子に向って自慢気にそう答えた。菜奈子は『のぼる』を『のぼう』と発音した健太郎の舌足らずが楽しくて、くすと笑うと
「のぼうの上手なんだー」
と真似をした。
「ちがうの、のぼうのがじょうずなの!のぼうなの!」
「うん、のぼうね」
「ちがうの!ナナコの、ちがう!」
「はーい。登るのが上手なんだよね」
 菜奈子は健太郎が少々腹を立てながら必死で訂正し始めたので、いじめるのを止めて両手を挙げて降参ポーズを取りながら笑った。健太郎は菜奈子の発音が直ったので、満足そうにコクと頷くと
「そう、のぼうの」
と繰り返した。
 菜奈子は、姉の子供健太郎を大変気に入っている。丁度おもしろい事を沢山言う様になったのでからかえるし、男の子にしては素直だし、明るく元気に笑ってくれるので一緒に居ると楽しいのだ。今日も、和美の『夜に甘い物食べさせないでね』を無視して会社の帰りにいちごのショートケーキを買ってあげたりして、健太郎のご機嫌を取りつつ甘やかしまくっているのであった。
「ナナコ、だいすき!」
「私も健太、だいすき!」
 二人は怒られないのを良い事に、いちごショートをわくわく食べながらそんな事を言い合った。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-05-16 13:58 | 文/おてまみ(全10回)

おてまみセッテ(01)


題 おてまみセッテ

        一

 佐倉菜奈子(さくら ななこ) 【二十六歳・事務職・ちなみに独身一人暮らし】 は、三ヶ月前に捨て猫を拾った。
 その猫は、生まれたばかりの小猫だった。
 菜奈子は猫に「ケンタ」と名付けた。
 一週間後、ケンタは還らぬ猫となった。
 衰弱死であった。

 それから三ヶ月。菜奈子は、今でもケンタを忘れていない。
 季節は秋になっていた。
「菜奈子。いい加減に、私がフライドチキン食べる事を許してよぉ」
 貴重なお昼休み。菜奈子の同僚山田美奈(やまだ みな)は、自分のお弁当を見て半べそを掻いている菜奈子にそう言った。菜奈子はそんな美奈の声に
「別に美奈が食べたって構わないのよ」
と答えると、ハンカチで目頭をきゅきゅと押えた。美奈は小さく嘆息すると、
「食べ難いのよ」
と呟いた。
「だって....某フライドチキン専門チェーン店が悪いのよぅ」
「猫に、ケンタなんて名前付けた菜奈子の方が悪いんです!」
「だって、早く元気で健康な明るい子になって欲しかったんだもん!」
 菜奈子はそう言うと、休憩室の机にうっぷしてしくしくと声をあげた。
 美奈はそんな菜奈子に半ば呆れながら、
「もう食べるからね!」
と言い、ケンタでも何でもないフライドチキンにかぷりと噛み付いた。

 三ヶ月前。佐倉菜奈子は、捨てられていたケンタを拾った。が、別段大変な猫好きだったからではなかった。ただ、自分のアパートの近くに捨てられていたので見かねたのである。
 ケンタは見るからに雑種で、体は全体的にダーク系の色が混じっている焦げ茶色をしており、そこに白が線を引くシマ猫だった。生まれたばかりの様でフルフルと弱っていて、菜奈子はケンタを拾い上げるとすぐ動物病院に連れて行った。だが、ケンタを診察した医師は険しい顏をした後、「衰弱していて、大変危険な状態です」と菜奈子に説明した。それを聞いた菜奈子は、一週間風邪だと大嘘を付いて会社を休み続け、山田美奈に多大な迷惑を掛けながらも献身的に看病した。だが、一週間後。悲しいかなケンタは息を引き取ってしまったのである。初めて拾った猫を死なせてしまった菜奈子は、深く深く悲しんだ。そして、己の経験不足を嘆いて泣いた。
『私が、もっと早く見つけてあげられたら良かったのに....っ』
 菜奈子は、冷たくなって行くケンタを真白いタオルに包み込むときゅっと抱きしめて
「お墓作ってあげるね」
と呟いてアパートを出た。菜奈子がケンタを抱いて外に出た時、空はもう夜中の静寂に包まれていた。
「もう、夜だったんだ」
 菜奈子は夜空に浮かんだ三日月を見つめると、ぼつりとそう漏らした。それは説明の付かない呟きだった。自分がどうしようもなく小さな存在になった様な、一人ぼっちになってしまった様な心細さを感じての呟きだった。
 菜奈子はそんな寂しさを打ち消す様にタオルに視線を落とすと、心の中でケンタに『大丈夫だからね』と伝えた。
 大通りに出た菜奈子は、数分後タクシーを掴まえると『近くの山まで行って下さい』と運転手さんに告げた。運転手さんは、こんな時間に泣き腫らした目をしてタオルを抱えて乗り込んだ菜奈子に不安気な視線を送ると、
「あの、こんな夜更けにですか?」
と聞いた。菜奈子は、運転手さんの怪訝と不安が入り交じった視線に『あっ....』と合点すると、タオルに包んだケンタを見つめて事情を説明した。
「そうかぁ、それなら早く墓作ってやりたいよなぁ」
 運転手さんは、タオルに視線を落としながら安心と同情の顔を向けると優しい声でそう言った。そして、山に着くと一緒になってケンタの墓を作ってくれたのだった。もちろん、誰かの所有物であろう御山に勝手に埋めさせていただいているので、墓とは言ってもケンタを埋め、その上に近くの石を一つ積んだだけの粗末な物でしかなかった。それでも菜奈子は手を合わせながら、
「ケンタ、天国で幸せに暮らしてね」
と祈って少しだけ安心したのだった。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-05-12 11:34 | 文/おてまみ(全10回)