カテゴリ:短文/(計19こ)( 19 )

poison sea


題「poison sea」




ただ、黙っていれば良かったと。


そうすることも、できたよねって。




だれが、人間は進化する生き物だと定義づけてしまったんだろう?
前にすすまなければいけない気がする、そうさせる切迫感。


全身をめぐる血液は、海の成分と近いらしいと聞いたことがある。
なら、こう切迫させる気持ちになるDNAは、毒にも近いのではないだろうか。
この全身を形成している細胞すべてに、張り巡らされる前進への信号命令。
なんて恐ろしいことだろう。


**************


「心が、折れた」


マナちゃんが、私の前で何回もそう口にする。
彼女は、昨日ちょっと良いなって思った男子に声をかけたけどにべなく断られたのだ。


「黙っていたって始まらないじゃない?
でも、声掛けるのだって勇気いるっつーの!
あー。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
心、折れた」


マナちゃんの気持ちは、分かる。うん。とっても。痛いほど。
目の前の、ケーキセットはもうからっぽの皿だけ。マナちゃんが食べなかったミントの葉っぱだけが残っていた。
私は、自分のお皿のガトーショコラの最後の一欠片をつっついて、何となくすぐに口に運べずにいた。
全部のお皿が空いてしまったら、店員さんがやって来て、私達の前のお皿を持って行ってしまうだろう。なんとなく、今はそのタイミングじゃない気がしたし、来て欲しくなかった。

店員さんが来たら、きっとマナちゃんは『心折れた、折れた』と言っているダラダラんってなってる顔を止めて、


『あ、すみません』

なんて、普通の対応をするんだろうから。


心折れたって、人間としてコミュニケートするならば、そういう時はそうなるわけだろうから。


「マナちゃんは、がんばったよ。えらいよ」

「ありがとー…」

「本当だよ。きっと、いつか良い人に出会えるよ!」

私は、お世辞でもなんでもなく、そう言った。
だって、本当にマナちゃんに素敵な出会いをして欲しいって思ったから。


マナちゃんは、かくんっと音がしそうな勢いで頭を左にまげると、


「ほんっと!ありがとー」


と言った。頭を下げてるのか、ただがっくりとうな垂れたのか、ちょっと境界が曖昧。


「マナちゃんには、素敵な人が出来るよ」

「そうかなぁ?…あー、素敵な人かぁ。素敵な人ねぇ…」

「うん」

「でも、それって何時かな……。あんまり遠いと、あんま意味ないんだけど…」


うーん。
それは、私にも分からない。
それこそ、全身をめぐるDNAに定義付けられてたら楽なのに。
ただ、前進することだけを義務付けてるなんて。本当、DNAはずるいなぁ。


「大丈夫だよ。絶対、出会いはあるよ!」


「そうだね。そう思わないと、やってらんないよね!
言わなきゃ良かったなんて言ってても、始まんないしね!
まぁ、声かけたって、何にも始まんないけどね!」


「マナちゃんったら!がんばって!」


「やーん!もー!だって、私、頑張ってるもーん!
もーーー!
分かったよ!分かりましたよ!
頑張りますよ!頑張りますぅーーー…!」


マナちゃんは、半ばやけくそ気味に何度も頷いた。
本当に、マナちゃん、頑張ってって思う。
こんなことで、へこんだり負けたりして欲しくないって。


でも、なんでなんだろう。


『もう、頑張んなくても良いよ』


と、言うことも出来るのに。
なんで、やっぱり前に進む方向の方が正しい気がするんだろう。
諦めてなんか欲しくないって、思ってしまうんだろう。
やっぱり、DNAからの命令なのだろうけれど。


マナちゃんに、このままで居て欲しくはないって思う気持ちは。
本当。

諦めてしまったら、いけないよって。
思う気持ちが、本当なの。


マナちゃんは、じっと私の顔を見て、甘えるような苦笑をこぼした後、残っていたコーヒーを飲み干した。
私も、フォークで刺したまま放置していた一欠片を口に運んで、アイスティーで流し込む。


「もう、行こっか」
「そうだね」


伝票とお財布をもって、二人でレジに向かった。


「ここは、おごるからね!」

「えっ、良いよ!愚痴聞いてもらったの私だし!」

「いいの!ね?」

「ありがとう」


マナちゃんは、ぺこりって頭をさげて、にこって笑った。
私も、にこって笑って、お会計を済ませた。


やっぱり人間は、一つ所にとどまってはいられないから。
こうしてカフェも出て行かなければならないんだわ。
この世界で、いつでも前進するしかないなんて。


もう、秋の町は夕方なんてすぐに隠してしまうから、真っ暗な五時半。
マフラー代わりの、ストールが風にあおられる中。
私も、マナちゃんも、寒いって言いながら歩いた。


「もうすぐ、駅前イルミネーション始まるね」
「あ、そうか。クリスマスも近いんだね」
「クリスマスかーーー…はぁ」
「マナちゃん!がんばれ!]
「あー…、はいはい」


結局。カフェ内と同じ会話に戻って、私とマナちゃんは一緒になって苦笑した。



    おわり
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by yoseatumejin | 2010-10-31 03:45 | 短文/(計19こ)

とりとめのない僕と妻との会話 あるいは、午後


題「とりとめのない僕と妻との会話
  あるいは、午後」



「どうして、引かれ合っていたものが反発しあうのかしらね?」
彼女は、テーブルの上に置かれたグラスの縁を指で何度か行き来させながら言った。

「さぁ」
僕は、なんとなく途中で切り上げた仕事が気になって来ていた。

「だって、月はどんどん地球から離れて行っているんですって。引力で引かれ合っていたのに。私達が、不安になるのもしょうがないわよね。だって、月の影響って人間にもすごくあるじゃない。その力が弱まって、遠くなっているなんて、世界中の人間が自分達の未来を不安に感じるのも当然な気がする。
きっと、私達も知らないような遠い未来には、月が自分達の側にあったなんて知らない人達ばかりになっちゃうんだわ。
今、月の横にちょこんとしてる金星くらいになっちゃったら、未来の人間ってどうなっちゃうのかしらね?おかしくなって当たり前な気がする」

「さぁ、それは分からないけど。でも、宇宙は常に膨張し続けてるんだし。月が遠くなって行くのもまた当然なんじゃないかな」

「それって、確かにそうね」

彼女にしてはめずらしく、素直に僕の意見に同調した。

「そう?」

「宇宙って、原子が融合したり分離したりして増えて行ってるのでしょう?宇宙規模で考えたら、私達人間だって原子と何も変わらないわよね。融合して、分離して、この地球に増えて行ってる訳だし。私達が、宇宙に出たいって考えるのも、この宇宙の道理に即してるって事よね。きっと、月が遠くなった頃には人間も遠くまで広がって行ってしまってるかもしれないわね。原子レベルで、人間も膨張して行くんだわ」

「そうだね」

頷きながら、僕は宇宙飛行士の格好をした人間が、地球からぽーんと飛び出して行く姿を想像してしまった。
原子レベルで、飛び出してしまう姿を。
それは、ちょっと笑えた。


オレンジジュースを入れたグラスは、もう温くなっている。グラスの周りに付いていた水滴も、もうない。
その代わり、グラスの底には水溜りが出来ていた。
でも、彼女も、僕も、かまわずにそれに口をつけた。


とにかく、僕は自分の仕事が終わってはいないんだ。
一区切りさせては来たけれど、書き終わったわけじゃない。
彼女は、切ったグレープフルーツの最後の二切れは自分と僕がそれぞれ半分こすべきだと主張した。
だから僕は、オレンジジュースを飲んですぐにグレープフルーツを食べる気にはなれないよと言った。

「とにかくね、書き終わらないんだよ」
「大変よね。起承転結を考えて書くのって。ただ単に、想像するだけなら、楽なのに」

くすくすと、片肘をついて彼女は笑った。
なんだか余裕たっぷりな笑い方だった。

「例えば、どんな風に?」
「ストーリーなんてないのよ。だって想像するだけなんだもの」
「うん」


「例えば、ね。女の子が居るとするじゃない?その子が、お父さんから靴を買ってもらうの」
「赤い?」
「ううん。青い靴。パパは言うのよ、『空の青と同じ色だよ』って。でも、パパが靴をプレゼントしてくれた日は生憎外はくもり空だったのよ。空一面に、雲が覆ってて。その隙間から太陽が光だけ差し込ませているような。まるで、毛布の隙間から懐中電灯をあてたみたいにね」

僕は彼女の話で、想像する。確かに、空はどんよりとしている。
青じゃない。

「次の日、空は晴れて青かったわ。パパは、『見てごらん、今日は靴と同じ青空だよ』って。でも、彼女はパパに悪いから口には出さなかったけれど、空が青いって考えるのはもう古くさいんじゃないかしら、パパ。だって、空の青と靴の青が同じな事なんてありえないし、空は青じゃない事の方が多いんじゃない?って。…まぁ、そんな事を、彼女は口には出さないけれど思ったわけ」

「それで?」
思わず僕は聞いていた、彼女は僕の問いかけに首を横に振ると、想像なんだからそこまでしかないわよ。と苦笑した。

「それからね、女の子はママに言われて、可愛がってるぬいぐるみと人形を洗うの。まぁ、丁寧にね。洗ったんだけど、いざ干す事になって彼女は悩むわけ。だって、自分の体を洗うのと同じ様に洗う事は出来ても、彼女は自分の体を干したりなんてしないんだもの。だから、どうやってぬいぐるみと人形を扱ったら良いのか分からなくなったのよ」

「でも、干さないといけないよね」

「そうね。ママは、人形とぬいぐるみの両手を洗濯ばさみで挟んで、物干し竿に干したのよ。女の子はそれを見て、初めはちょっと楽しそうで良いって思うの。だって、自分も鉄棒にぶらさがって遊ぶでしょう?あんな感じだわって。でも、よくよく考えたらちっとも楽しくないって気が付くわけ。両手を洗濯バサミで挟まれてるなんて痛いし、両手をずっと上にあげてるなんて苦痛だわって」

「もし僕だったら、ギブアップするね」

「私だってするわね。だから、彼女は気付くのよ。ぬいぐるみと人形は、ぬいぐるみと人形なんだって。それから、洗って乾いた後のぬいぐるみは、カーペットみたいにごわごわするし、人形は顔が変わっちゃうって事もね」

「残念だね。いっその事、洗濯なんてしなきゃ良かったんだよ。そうすれば、友達のままで居られたんだ。彼女も、ぬいぐるみも人形も幸せだった」


それから僕は、この話は彼女自身の事なのかもしれないと思った。
でも、彼女は『私じゃないわ』と首を振った。


「私は、買ってもらった靴は喜んではいたし、ぬいぐるみや人形を洗濯しても気にもしなかったわ」
「じゃあ、君のお姉さんとか?」
「ねぇ、この女の子は想像なのよ?現実に私は知らないわ」
「それじゃあ、君の心の中に居る?」
「それもない。だって、今考えただけだもの。私は、ただ想像しただけ。貴方みたいに、仕事じゃないんだもの。すごく適当に想像しただけよ」
「僕も、そういう風に書いてみようかな。結果なんて何もないさ。ふわっとして、君の想像みたいに書けたら楽しそうだけどな」
「そんなの、誰も喜ばないんじゃないかしら?」
「そうかな?そうかもしれない。でも、書くのはすごく楽しい気がする」

それは、お話の断片みたいなものだし。
僕だって、ふっと想像する事もある訳だから。
例えば、紙飛行機がずっと飛んでいくのを。
ずっと、飛んで。
終わりがない。女の子が古くさいと言う、青い空に、紙飛行機が一機。
空だって、ずっと青いまま。

「なんだろう。僕の想像は面白くないな」

サンドウィッチは、ちょっと干乾びて来てる気がする。
チーズと、キュウリと、マスタードバター。
僕も彼女も、シンプルなものを好んで食べていると思う。


「貴方は、いつも想像してるからでしょう?想像にまで、創作癖が入りこんじゃってるのよ。意味を持たせないといけないんだわ。女の子が、いくつで、どこに住んでるのかとか。姉弟が居るのかなんてね?彼女の好きなもの、好きな色、好きな本。誰が彼女を愛していて、誰が彼女を嫌っているのか。貴方はすぐそういう所まで考えようとするのよ、きっと。髪の色も、肌の色も、瞳の色もね。お父さん似なのか、お母さんに似なのかって」
「うん。楽しくないね、それ」
「そうでしょ?あー、なんだか、喉渇いて来ちゃった。ビール、一缶貰っていい?」


彼女は、椅子から立ち上がる時、テーブルに両手をついて、えいっと立ち上がった。
冷蔵庫の開くボスっという音に、僕は自分も便乗する事にした。

「ねぇ。僕にも、ツードックくれない?入ってただろ?この間買って、結局飲まなかったんだ」
「あるわよ。でも、良いの?貴方、まだお仕事中じゃない?」
「良いんだ。だって、君だけなんてずるい」
「だーめ。お仕事あるんだし。ジンジャーエールならあるわよ。甘くないやつ」
「じゃあ、それ」
「了解」


結果、僕は便乗に失敗し、しぶしぶと彼女から、ジンジャーエールの壜を受け取った。
これは、先日彼女が安かったからって買って来たやつだ。お酒割るのに便利でしょ?って。
お酒も割らずに飲む用になるなんてね。
彼女は、自分だけ缶ビールをグビグビしてる。
今日は彼女は仕事がオフだからね、たまの日曜日だし。
こうやって長い午後を過ごしているんだから、僕よりも良い恩恵に与れても当然かもしれない。
彼女は、自分も残していたグレープフルーツをビールのアテにして、美味しかったのか残っていた僕の分も結局口に運んだ。


彼女は、あまり詳しくは教えてくれなかった。
彼女は少し前まで、妊娠してると言っていたけれど、その直ぐ後であれは違っていたと言った。
お医者さんに行ったんだろうって尋ねたら、そうよって答えたけど。


『でも、違ったのよ』


何がどう違っていたんだろう。医師がそんな間違いするはずもないと思う。
でも、この話は彼女をとてもナーバスにさせたし、僕は自分が彼女を泣かせてまでこの話をしたいと思わなかった。
僕達は元々子供の事とか、口にあまりしない夫婦だった。
だから、もし彼女が何か秘密を抱えていたとしても、あまり知りたい気持ちはなかった。
僕達は、融合し分裂し膨張しない原子から出来ている気がする。
ただ、隣り合って存在する原子同士でだから満足しているんじゃないだろうか。


「あぁ、こんな時間からビールを飲むのって、贅沢よね。
しかも、旦那様の目の前で、旦那様にはおあずけを食らわせておいて、ね?」

「もう酔ったの?」

「まさか!でも、一眠りしたい気分にはなるわね。こうやって」


そう言って彼女は、テーブルに片頬をくっつけて上半身を倒した。
左手が僕の方へと伸ばされてくる。
彼女の指が、僕を呼んで、僕はその手に自分の手を重ねた。
お互い同じ位の体温だからか、あったかいという感じはあんまりなくて、ただいつも思うように彼女の指が僕よりも柔らかくて気持ちよかった。


「ねぇ」
「何?」
「お風呂掃除、忘れてないわよね?」
「忘れてないよ」


僕は苦笑した。
ジンジャーエールで、甘い雰囲気に酔いそうな気持ちだったのに。
女性は、皆こうなんだろうか?
少なくとも、男よりは現実的に出来てる原子だと思う。
それが、女性にとって幸福かどうかは分からないけれど。


きっと、お風呂掃除の事を持ち出すなんて、彼女は、僕に多分何かが言いたかったんだと思う。
けれど、彼女はきっと、僕よりも強いんだろう。
だから、こんな風に現実を呼び戻して、何事もなかった事に出来るんだ。


僕は、彼女が女性でよかったと思う。
もし、彼女が男だったら、なんとなく僕とは相容れない存在だった気がする。
僕の弱さを彼女は嫌いそうだし、僕は彼女の強さに気圧されて友情すら芽生えなかったと思う。
彼女が女性で、しかも僕を好きになってくれたのは偶然の幸運だ。
僕は彼女を、僕の妻に出来て本当によかったと思う。


「じゃあ、そろそろ。仕事を始める前に、風呂掃除して来るよ」


僕は、半分以上あったジンジャーエールを、ぐびぐび飲み干した。
ちょっと、むせる。
彼女は、僕がケホケホやってる姿を見て、嬉しそうににやっと笑った。
それから自分も立ち上がって、テーブルの上に残っているサンドウィッチの皿やグラスやグレープフルーツの皮なんかを片付け始めた。

そして、出て行こうとする僕に向かって


「ありがとう、貴方」


と普段と変わらない口調で、いつも通りそう言った。



      終わり
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by yoseatumejin | 2010-08-14 11:07 | 短文/(計19こ)

簡単には。


題  簡単には。



確実に、違うと思っていたのに。
梶原 実(かじわら みのる)は、返って来た答案用紙を見つめて心の中で呟いた。


適当に、丸した所も。
適当に、順番をつけた所も。


(全部、合ってるなんて)


世の中、そう簡単には物事いかないと言うのが通例なのに。


時には、こんな事もあるものだと感嘆した。


「へぇー。梶原、すげぇじゃん」

「お、あ、おぉ」


隣の席の石田 博仁(いしだ ひろひと)に、答案を覗き込まれて少し慌てながら梶原は頷いた。


「何、お前。今回のテスト、全然勉強してねぇって言ってなかった?」

「あぁ」

「本当は、勉強してた…って、顔じゃねぇな?」


石田は、梶原の自分を見つめる顔に浮かんだ表情に苦笑しながら、


「じゃあ、適当?」


と続けた。


「おぉ。完璧、適当」

「適当で、こんだけ当たればすげぇじゃん!」

「だよなー。俺も、驚いた」

「宝くじでも、買えば?」

「え?何で?」

「運で、当たっかも?じゃん」

「当たるかよ」

「わかんねぇじゃん?」

「じゃあ、買う。億万長者になりてぇし!」

「あはははは」


真面目顔で頷いた梶原に、石田は声をあげて笑った。



******



ジャンボ宝くじを、バラで十枚購入した結果。


梶原は、一万円と三百円の「ご当選」となった。


(お、俺、すげぇ!)


宝くじ売り場で換金してもらった現金ちゃんを財布につめながら、思わず顔がにやけそうになる。
梶原のそんな姿を、後ろで見ていた石田は、


「マック!マックで良いからおごれよなー」


と、梶原の足を軽く蹴りながら、笑って言った。


「俺には、もしかして秘めたパワーとかあるのかも、な?どう思う、石田」

「ないと思う」

「マジかよ」

「そんな簡単にいかんよ、人生だよ?」

「いや、そうだけどよ。才能っての?それは、見つけようとする気持ちと信じる心が大事なんじゃねぇ?」

「まぁ、自分をどう思うかは、ご本人の自由だと思うけど?」


石田は、おごってもらったテリヤキチキンを食べながら、ポテトをフリフリした。


「石田。俺に、宝くじを買えって言ったのお前じゃん。なのに、何だよその応対は」

「いや、宝くじ買えくらいは、普通誰でも言うんじゃねぇの?ほら、おみくじで大吉出たとかあればさー、宝くじ買わなきゃとかさ、買ったら位言うじゃんか」

「そうなのか?」

「そうだよ」

「じゃあ、これはまぐれか?まぐれ当たりか?」

「そんなのオレが、知るかよー。わかんねぇよ。第一、それが分かったらオレのが梶原よりすげぇって事じゃん」

「あ、そうだな!石田、お前頭いいな!」

「……梶原、全部まぐれだって思っとけば?そっちのがお前、幸せだよ。うん。オレ、そう思う」

「なんだよ、石田。その目はよー」


梶原は、石田のちょっと遠い感じの視線にぶうたれると、自分のポテトをむしゃむしゃと食べた。
コーラもぐびぐび飲む。
飲みながら、石田の言う通りだろうなと梶原も心の中で思った。

人生なんて、そうそう簡単にはいかないのだ。
その証拠に、億万長者になりたかったのに一万長者止まりだ。
テストの結果だって偶然だろうから、次はないだろうし。
まぁ、ちょっとラッキーくらいと思うのが丁度良い所だろう。


(まぁ、ちょっとラッキー…?)


「あ!」

「な、何だよ、いきなり」


石田は、急に自分を指差して大きく「あ!」と言い出した梶原に、一瞬面食らった。


「だって、俺。気が付いた!」

「は?何が?」

「石田、俺は確かに一万円と三百円を手にした!」

「あぁ、そうだな」

「だが、俺は三千円を支払った」

「まぁ、宝くじ買ったからな」

「つまり、俺はリスクを負っていた事になる」

「確かにな。でも、まぁ、結果プラスになったんだから良いじゃん」

「そうだな。まぁ、結果ラッキーだったからな。でも、石田。お前はどうだ」

「え?オレ?」

「お前は、俺に宝くじ買えばってすすめただけじゃん?それで、マックじゃん?実はお前の方が、ラッキーなんじゃねぇの?俺、今、それに気づいたんだよ。お前、ノーリスクでラッキーじゃん!」

「ま…、まぁ、言われるとな。そうだな。ごちになります!」


石田は、梶原の意見に頷くと、ぺこりと頭を下げた。


「おぉ!俺、マジ感動だよ。本物のラッキー見ちゃった感じだよ!」

「そうか?ってか、梶原怒ってる?」

「いや、全然!だって、俺、お前のお陰で得したわけじゃん?俺は、リスクラッキーだけどさ。きっと、世の中には、ノーリスクラッキーな奴って居るんだぜ。石田みたいな奴の、もっとすげぇバージョンのがさ、きっと居ると思わねぇ?そう考えたら、世の中簡単にはいかないって言うけどさ、簡単にいくやつも居るかもじゃん!」

「梶原。お前、次のテストはちゃんと勉強して受けた方が良いと思うよ、オレ」

「そうか?」

「あぁ。お前、ちょっとおバカさんだ」

「ひでぇ、石田!」

「あははは。悪い悪い」


笑いながら片手をあげて謝る石田を、軽く小突くと梶原は一緒になって笑った。



******



石田に言われた通り、とりあえず勉強をして受けたテストは、まぁ勉強して受けたら取れるよなという点数だった。
梶原は、隣の石田に答案を見せると、


「まぁ、人生ってこんなもんだよな?」


と笑った。



          おわり
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by yoseatumejin | 2010-05-10 01:19 | 短文/(計19こ)

春と桜。


 題「春と桜。」



朝の散歩、というには、ちょっと険しいかもしれない山道。
歩いて登れば途中から桜木が続いていく。


(この季節には、ちょうど良いな)


昼や夜と違って花見客もない。
春田 英二(ハルタ エイジ)は、舗装された道へと枝を伸ばした花盛りの桜を見上げて少し頬を弛めた。
この薄紅色のはかない花達を、やはり愛でたいと思うのは自分も日本人だからなのだろうなと思う。


「綺麗だ」


アスファルトの端に、ところどころ落ちているゴミさえなければもっと良いのだけれど。
やはり、花見の浮かれ具合は朝のさわやかさに似合わないようだった。
きっと、昼過ぎには清掃業者が訪れたりするのかもしれないが……。


「ごめんな。お前等は、こんなに綺麗なのに。オレ達が汚しちゃだめだよな」


ごみ袋でも一緒に持って来たらよかったと、春田は桜の枝にそっと手を伸ばして触れながら本気ですまない気持ちになっていた。
普段はこんな感傷的な気持ちになることも少ないのだが、やはり桜の儚げな雰囲気に囲まれていると心が洗われてしまうのかもしれなかった。


さぁっと、風が吹いて枝が揺れるとハラハラと花びらが落ちていく。
掴む気がなくても、手のひらに一つ二つと、薄紅のハートが舞い込んで来た。


(来週には、散っちゃうかもしれないな)

と、ぼんやり思ったその時。
春田は、バキバキと木が折れるような音を間近に聞いた。
その不穏な音がしたと思った、矢先。
どさっと、薄紅の花を纏いながら自分の目の前に人が降って来たのだった。


(は!?)


舞い上がるように散る桜の花びらに視界を奪われた後で、春田は自分の足元に転がった人----それは、長い黒髪に赤いワンピースの美少女だったのだが----を、あまりに突然過ぎて思考を停止させたまま見下ろしていた。


(女の子……)


舗装されたアスファルトに転がった女の子は、十七・八歳位に見える。
春先のこの季節に着るには、ノースリーブのワンピースは寒そうだったし、鮮やかな赤も不自然だった。
女の子は落ちてきた衝撃のせいか、しばらくはじっと地面にうずくまっていたが、その内にむくっと起き上がると長い髪を一掻きして立ち上がった。
そして、春田が先ほどまで見上げていた桜の幹に近寄ると、


「ふっざけんなよ!親父っーーー!!!」
「何、人間なんかにしてんだよっ!もどせっ!返せ!!!」
「なにが、『人生修行して来い』だよ!ありえねぇんだよっ!!」
「人間なんてなぁ!桜なんか見てねぇんだよ!あいつら、騒いで酒飲んで食いたいだけじゃねぇか!別に桜の下で宴会しなくったって本当はいいんだよっ!!!たまたまこの時期に、自分等が咲いてるだけだっつーの!」
「本当、マジむかつくー!親父!!何か言え!!!返事しろっ、コラぁああ!!」
「くそジジイ!しね!」


ガンガンガンガンガンガンガン。
ゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシ。


美少女はありえない位の悪態をつきながら、ガンガン桜の幹を蹴って髪を振り乱している。
おかげで、桜はバサバサ揺れながら薄紅の花びら達をワサワサと落として行った。


(………何だ、これ)


朝のすがすがしさが、一瞬で消えた気がする。
春田は、自分の目の前で繰り広げられている光景に対処できないまま、とりあえず少女の動向を見守るかのごとく立ち尽くしていた。

が、少女の方は春田の存在より己の怒りの矛先を桜の木にぶつける事に集中している様だった。


ガンガンガンガンガンガンガン。
ゲシゲシゲシゲシゲシゲシゲシ。


細い足から繰り出される連続キックは、かなりのスピードと威力だ。
しかも、良く見れば裸足だった。
春田が、その事に気がついた時。


「足が、痛いわーーーー!!!!」


少女も、さすがにその事実が骨身に染みた様で、片足を抱えて蹲っていた……。


「親父、絶対……絶対、ぶっころす!」


かなり痛かったようで、桜の幹を睨み上げている少女の両目は赤くなって涙がにじんでいた。
けれど、少女が何をどう言おうと、あれほどガンガン蹴ろうと、桜の木が話しをするはずもなかった。
少女は、しばらく黙って桜の木を睨み続けた後。


ぐーーー。


と、はっきり春田の耳にも届くほどにお腹を減らしている音を鳴らした。
桜。
と、少女に名前をつけたのは春田だった。

かなり安直な名前だったが、ほかに考えようもなかったし、あの後、気がつけば彼女を背負って下山するはめになり、また自分の家で朝ごはんをご馳走する事になり、

『私は、桜の木なの!人間なんかじゃないのよ!!!それなのに親父にこんな姿にされたのよ!』

と、言い放ち行く所なんてないと言う彼女を一人暮らしの自分の部屋に住まわせるに到っていた。


毎日。桜は、

「おい、春田。腹がすいた!」


と、あの桜の幹を蹴っていたように春田を蹴って起こすのだった。


桜は、かなりざっくりした性格と態度の美少女だった。
そして、そんな桜曰く、人間の体というのは燃費が悪いものらしい。
常に地面から栄養と空からも栄養を得ている状態の木から考えると、口から摂取するしかないという状態はすぐにお腹がすく大変不便な状態だと言う。


焼いたトーストに、いちごジャムをたっぷり塗って3枚目。
桜は、コーヒー一杯で出勤しようとしている春田に「お前、それで保つなんてすげぇな」と感嘆した。


「いや。普通だろ。最近、日本人は朝食をとらないやつが多いらしいし」
「春田。お前の返答は、何だか理屈っぽいな」
「……悪かったな」
「第一、お前のお腹具合まで日本人という基準から考えないといけないのか?」
「いや、オレはただ単に世間一般の世情というか、何と言うか…」
「ばかか?」
「………お前、本当に桜の木なのか?口悪いな、マジで…」
「何だよ。お前等が、桜に幻想抱きすぎだろ?何が儚いだよ。こっちは、あの時期人間に見られてうんぬんかんぬんなんて時期じゃねぇんだよ。頑張ってんだよ。忙しいんだよ。何のために花咲かせてると思ってんだよ?第一、あんた等が見終わった後の時期は全然近寄らないじゃんか。『やーん、毛虫怖いぃ~』とか言いやがって。こっちとら、その毛虫と毎年戦ってんだよ。花の時期じゃなくて、あの時期に来いよ。こっちは手なんかねぇんだからさ、払えよ!払いに来いよな!」
「いや…毛虫取りとか嫌だろ。小鳥にでも頼めよ」
「けっ!人間なんて、マジ使えねぇ奴等だな!!!」


ぺろりと3枚目のいちごジャムパンを食べ終えると、蜂蜜入りの牛乳をゴクゴク飲みほして、最後はぷはぁ~と一息つく。
桜は、かなり甘党だった。
そして、満腹になるとすぐに眠くなるらしい。
桜に言わせれば、木なんて大抵眠りながらごはんを食べている様なものなのだから、いちいち食べるのと眠るのを分けなければいけないのは大変なのだそうだ。
だから、一応世話になっていて感謝すべき春田の出勤を見送るでもなく、ベッドに舞い戻ってスヤスヤと眠ってしまうのだった。


***********


「海ーーー!海、すげぇ!海ーーーぃ!!!」
「おい、はしゃぐなよ…重いだろ!」
「うっせぇ、春田のひ弱~」
「だから、動くな!はしゃぐな~っ、お、ちょ…やめろ!髪をむしるな!」
「あはははっ、ハゲ春田になりたくなかったら、ちゃんと運べよっ」


日曜日。
春田は、桜にせがまれて海に来ていた。


『木が、海みたいなんて言ったら変か?』
『いや…変じゃないと思うけど。行きたいのか?』
『ばっかか、お前!行きたいに決まってんじゃんっ!木のままだったら、絶対に行けないんだぞ?あんな山道に生えてんだぞ?海なんか、行けないと思ってたに決まってんじゃん!行きたいだろ!?』
『そんなの、今みたいに人間になって行けば良いんじゃないのか?』
『春田…お前、本当に馬鹿だな…。本当は、こんなアホちんな格好になんか普通はならないの!これは、親父が私を捨てたんだよ。もうお前なんかいらん!って奴だよ。幹から切り離されちゃったんだよ。…親父は、私が死んだって良いって思ったんだろうよ。桜の木はさ、人間に愛されている誇りある木だってんのが親父の口ぐせでさ。それを私は文句ばっかり言うから、うざかったんだろうね。……だからさ、私が海に行きたいというのも人生最後のお願い的なもんなんだよ。そこの所を、察しろよ。お前、本当にうすらぼんやりだな春田』
『……悪かったな。でも…なんか、お前の態度を見てると深刻そうな告白なはずが内容がリアルに届かないな』
『はぁ!?何だよ、私が嘘言ってると思ってんのかよ?空から降って来た宇宙人とか思ってんのか?』
『…そっちのが、リアルだ』
『お前は、本当に馬鹿だな…。宇宙人に見えるのかよ?この私が』
『どっちかと言えば、桜の木にも見えねぇんだけど…』
『あの状況で、信じないわけか?』
『いや、だってお前が桜の枝の上で転寝してたとかだってあるだろう?』
『じゃあ、春田は私が人間だって言うのかよ』
『まぁ。見た目じゃ、そう見える』
『本当馬鹿だな』
『…もう、本当馬鹿言うな。それ、さらっと何度も言いやがって傷つく』
『アホだな』
『アホも言うな』


なんて会話の結果。
春田は、桜を連れて海に来ていた。
そして、せっかく連れて来たというのに『塩は、樹皮に悪いんだからな!春田、おんぶ!』と結局桜は海にさわる事もなく、春田の背中の上ではしゃいでいるだけだった。


「海、最高だなぁーー。超広ぇええ~。木が、一本も生えてねぇ!」
「まぁ、生えないよな…お前だって、塩分から逃げてるわけだしな」
「うっせえな!塩分は危険なんだよ!ってゆうか、規模の話に塩分は関係ねぇだろ?本当、春田だな!」
「本当春田ってなんだ?」
「お前が、馬鹿言うなアホ言うなって言うからだろ。考えたんだよ!春田イコール春田だろ?」
「なんとなく分かった。春田言うな!」
「春田。お前の名前じゃんか!何だよ、名前呼ぶなってか?」
「名前じゃない方の春田言うな!」
「ははははは、春田は、本当に春田だなぁ~。なぁ、春田春田!」
「春田春田言うな!」
「あははは。海、やっぱすげぇ。太陽が、超気持ち良いじゃん。木ってさぁ、隣との距離が大抵近すぎなんだよな。なんてーの?パーソナルスペースが超狭ぇの?あれも、私嫌いでさぁ。親父や姉さん達と超近いわけよ。うざいじゃん?で、文句ばっか言ってた。もっと自由に太陽浴びてぇ!って。お前の枝、邪魔なんじゃ!ってさぁ~。あー、気持ち良い~」
「うわ。ばか!急に、両手広げんなーー。バランス崩すだろ!?」
「春田だろ。がんばれ!」
「何だそりゃ!うわーっ。ばか、急にくっつくな!」
「なんだよ、広げんなとかくっつくなとか!どっちなんだよ!」
「おとなしくしてろって言ってんの!急に動くなって事だ」
「春田、うーるーさーいー」


春田の背中の上で、上半身をゆらゆら左右に動かして桜はケタケタ笑った。
春先の海は、まだ風が冷たかったけれど、春田は足を砂にとられてよろけながらもなんとなく桜の素直な喜び方に苦笑してしまっていた。


***********


「だからさー……春田…」
「何だよ」
「春田は、本当春田だなぁ~」


ベッドの上から、ぺちんと春田の頭を叩いた桜はくくくと笑った。
何の躊躇もなく、二日前に桜は言った。


『悪い春田。世話になったな。もう、ダメだわ』


『は?』


『限界らしい。こんな人間っぽい格好してっけどさ、私はただの桜の枝なんだよ。もう、お前ん所に世話になって十日位経ってるしさ。枯れて来た!たぶん、さよならだ』


『お前、何言ってんの桜』


『何って、春田…察し悪いな。もうすぐ死んじゃうから、ごめんなっつってるんじゃん!世話になったから、お礼言ってんだよ。春田のおかげでさ、人間も悪くねぇじゃんって思えた!ありがとうな!結構良い発見だ、これ。最初はさー、親父をうらみまくってたけど。人生経験にはなった。まぁ、おかげで死んじゃうけどな。まぁ、悪くないよ。春田、サンキュだぞ!』


『サンキュ…って。オレ、今、お礼を言われてんの?…うそだろ』


『うそじゃねぇって!ちゃんと、お礼言ってるよ!それに、普通に考えろよ。私がこのままで生き続けれる方が変だろ?第一、いつまでも私に居られても春田困るだろ?ちょうど良いんじゃねぇの?』


『何がちょうど良いんだ…』


『人間と暮らしなよ、春田。お前は人間だろ?一人暮らしっての?お前、あんまり一人暮らし似合わねぇよ。お前、誰かの世話焼いてる方が楽しそうだよ。誰かと一緒に居る方が、春田は幸せになれるよ』


『お前、それ本気で言ってんのか?』


『当たり前じゃん!私は、こう見えても春田より長く生きて来てんの。もう40年くらいは生きてんの。だからさ、お前より分かることもあるんだよ。春田は、案外世話焼きだぞ?自覚しろ』


『お前は、馬鹿だ桜っ…オレが誰にでも世話焼きだと思うのかよ!?』



春田は、あっさりと告げられていくことよりも、そんな桜の言葉に傷ついている自分を感じていた。
たった十日ほどだ。
町の街路樹の桜も、もう皆散って葉桜となって新緑の芽を出している。
桜の、一番美しい季節は過ぎ去っていた。
だから。
こうして桜の言うことも、分かる気がするのに。


(認めたくない)


と、感じている自分が居る事を春田は知っていた。
桜が、このままずっと自分の家に居座るような存在だなんて自分でも感じていなかった。
けれど、別れなければならないような気もしていなかったのだ。

まして。
枯れた枝が死んでしまう事は理解できても、桜がそうなるのだとは思えなかった。


(思えなかったのに……)


今。自分のベッドを占拠している桜は。
自分の頭に、ぽんと手を置いた桜は。
もう、息をするのも苦しそうで……。枯れていく事が、死なのだと春田に理解させていた。


「桜……っ…」
「なん、だ?」
「枯れるなよ…っ…枯れたりなんか、すんな」
「ははっ…春田は……無茶言うな」
「水、いっぱい飲んだら良いんじゃねぇ?なぁ?そうじゃねぇの?」
「…そんな事したら、腐るだろ…」
「腐るほど飲まなきゃ良いじゃんか…」
「……春田は、本当春田だなぁ。……最後まで、春田だ」
「悪いけどな!オレ、春田で良いよ!春田で良いからさっ…もっと、違う事言えよっ…枯れるとか、腐るとか言うなっ……言うなよな!」


頭に置かれた手を、両手でぎゅっと握って自分の額にあてながら、春田は嫌々するように頭を小さく左右に振った。
綺麗な黒髪が、今はかなり荒れている。肌の色も悪い。細かった腕は、ますます細くなっている。
そんな桜に、それでも春田はこれは冗談だと言ってもらいたかった。
あんな風に、ありえない形で桜の木から降って来たのだから。
だから、奇跡という名前が、自分が望んでいる結果につけられているならば、奇跡が欲しかった。


けれど。
ふっと。

額に当てていた手に、包んでいたはずの手の感触が消えたことに気がついて、春田はハッとベッドを見た。


「桜っ…!」


桜、桜……と、名前を何度呼んだだろうか。
そこに、口の悪い美少女の姿がない事を、認めたくないままに。
自分が目にしているベッドの上に。


一枝の桜があることに。


(本当だったんだな…)


うそじゃないと、桜は言っていたけれど。
それでも、何処かで疑っていたんだなと気づく。
桜が、桜の木だったという事を。
自分は、やはり信じていなかったのだろう。
否定はしてなかったけれど。
認めたくはなかったのだと思う。


桜の枝は、もう一輪の花もつけてはいなかった。
美しい薄紅色はなかったけれど、それでもこの枝が桜である事は分かる。
それは、毎年見慣れた桜だからだろうか?
それとも、この十数日間を一緒に過ごしていたからだろうか?


そっと、枝を掴んでみる。
じっと、その細く伸びた枝を見つめている。


『春田。泣くなよな!』


桜なら、そう言うかもしれない。
きっと、そう言いそうだ。
でも、枝がしゃべるなんて事はないのだ。海に行きたいなんて、言わないのだ。
お腹がすいたとも。甘いお菓子を欲しがったり、ジャムたっぷりのパンを食べたり、蜂蜜まで入れて牛乳を飲んだりしない。
それに、口があんなに悪いなんて反則だろう。
おかげで、自分もずいぶんと口が悪くなってしまったではないか。


誰でも彼でも世話を焼くのが好きだったりするものか。


桜は簡単に言うが、誰かと一緒に暮らすのは存外大変なんだぞ。
赤の他人同士なら、なおさら。
なおさらだ。


なおさら、なんだよ。桜。


*************


挿し木。
というものが、あるらしいと。
春田が知ったのは、一年前のことだ。
細い枝の先に新芽を見つけて、挿し木した。


植木鉢に、挿し木をした桜の全てが根付くわけではないらしい。


けれど、何もしないまま枯れて終わってしまうなんて桜らしくはないじゃないかと思ったのだ。


この一年、春が来ても花は咲かなかったが。
きっと、それは眠るのが好きな桜だからだろうと思う。


春はまた巡ってくるのだから、


『待っててやるよ』


と、春田は新芽から伸びた細い枝に苦笑して見せた。



     終わり
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by yoseatumejin | 2010-04-09 01:31 | 短文/(計19こ)

隣合せ。


題「隣合せ。」


『だいっ嫌い!!!』

『大っーーー嫌い!!!!っ...!!』

『だぁああい、嫌いーーっ!』


もう、大嫌いになった!
だからもう、絶対絶対、口なんてきかないっ。
遊んだりなんて、しないんだから!!!



と、そう言ったことだけは記憶している。
もう、昔の記憶だ。
だから、全てが曖昧で、自分がどうしてそう言ったのかなんて、全く覚えていない。
なんで、こんなに過去の自分が怒っていたのかも記憶していない。
ただ。
私は、自分がそう言った相手の顔と名前は今でも覚えている。

忘れられない。

同級生の、高山修次(タカヤマ シュウジ)だ。
高山修次は、あの時。すごく、驚いたような顔をしていた。
すごく、驚いた顔をしていたのに、何処か今思い返してみると受け入れているような目をしていた。
私があんなに怒っていたのに。
高山修次は、驚いたままの顔で、学校の運動場ののぼり棒の側に突っ立っていた。
言い返しもしないで。

私の記憶は、そこで止まっている。
今も、高山修次はのぼり棒の側に突っ立っている気がする。

(あののぼり棒は、たしか緑色だったな)


私は、自分の記憶をとりあえず....とりあえず、冷静に引っ張り出しながら、最期はどうでもよさそうな事に意識を結びつけてみた。
そうだ。
あののぼり棒は、途中で色が塗り替えられたのだったわ。小学四年生だったと思う。
夏休み中に、塗り替えられてオレンジ色から緑色に変わったのだ。
私は、ちょうど学校へ友達と遊びに行っていて、塗装業者の人が二人のぼり棒の周りに足場を組んで塗り替えているのを見ていた。
明るいオレンジ色から、緑色になってしまって、ちょっとイマイチだって友達と文句を言っていた記憶もある。
だから、夏休みが終わってから、緑色になったのぼり棒の塗りなおされたばかりの綺麗な、けれど厚みが少しだけ増えたせいでもったりとした塗装を、爪でこっそり削ってみたりした。
でも、爪で削ってみるくらいでは、元のオレンジ色が顔を出す事はなかったけれど。

(今なら、もう見えるかも。それとも、また別の色に塗り替えられたんだろうか?)


分からないな。
と、とりあえず思考を進めながら、黒板の前に立つ新しい担任の自己紹介をまじめに聞いているふりをした。
先生は、去年までいた学校では写真部の顧問だったとか。
写真部がこの学校にもあって嬉しいとか。
まぁ、そういう事を言っている。

言っている。
私はそれを、とっても真面目な顔をして、まっすぐ見ている。

そんな私の、隣の席に。
忘れもしない。
高山修次が座っているからだ。

すぐに、この同じクラスで隣の席になった男子が、高山修次だと。
私には、分かった。
分かった瞬間。
横なんて、向けるはずがなかった。

(はずが、ないじゃないか!)

理由がどうであったかは、さっぱり全く何も!覚えてなんかない。
が。
私の記憶で、あんな事がある前まで私と高山修次の関係は、なかなか気さくにしゃべれるクラスメイトという良好なものだったと覚えているのだ。
が、あの記憶以降。
私が、一切、高山修次と関わった覚えはなかった。
徹底的に、忘れ去ってしまっている理由が理由で、私は自分の生活圏から高山修次を排除してしまったのである。
きっと、今、こんなにもその後の高山修次を覚えてないのだから、私の排除行動は完璧であったに違いない。
もう二度と、関わらないという関係を絶対としていたはずだ。

(だ、のに!)

(だのに、何故!?)

同じクラスメイトになってしまっただけでもイタイ所にもって来て。
隣の席なんて!
しかも、新学期。
新学期の、席替えはなかなか発生しないのだ。
だって、先生もクラスメイト達も配置と名前を一致させていかねばならぬのだからね!
そうそう変えていては、混乱するのだ。

(つまりはだ。二ヶ月はこのままだ)

下手をすれば、一学期中なんて事もある。

(一学期か...)

とりあえず。人間、一番近場から仲良しの輪を広げようとするものだ。
女子同士の方が早くなりやすいが、とりあえず嫌なやつだと判断しなければ男子だって隣から声をかけるのが定石。

(あ、そうか!嫌なやつであれば、良いのか!)

と、一瞬。
私は安堵してみたりした。
が、明らかに。私は、もう高山修次に何の嫌悪も抱いていないのだ。
曖昧な記憶を思い出すたびに、どちらかと言えば私が彼を傷付けたのだという気持ちの方が年々強くなっていたりもするのだ。
なんとも理不尽だったのではないかと。
あれほど嫌った理由を覚えていない今、負い目の方が強い。

いや。
もっと言えば、私は彼を自分の生活圏から排除した後から、彼に対する態度を後悔していた。
あんな態度を取ってしまった、と。
だから、その後私が彼と全くかかわり合わないで居たのは、後ろめたさからだった。
謝るタイミングも、何に対して謝れば良いのかも分からないままで、私は高山修次から逃げ出していたのである。
中学が、分かれた時には、そんな訳で安堵したものだ。

(そして、高校が同じと知って衝撃を受けたものだ)


去年、一年間。
完璧に、私は高山修次と無縁である事に努力をついやした。
高山修次とクラスが遠かったので、それほどの縁が起きることはなかったけれど。
姿を見つけないように。廊下ですれ違う回数も、やむしかたない時以外発生させないように。

なんて無意味な努力!

そう思ったけれど、仕方ない。私の良心が、そうでもしていないとチクチク痛んでしまって仕方なかったのだから。


(だのに、だ!)

だのに。
隣の席とは、どういう事だ.......。
確かに。
同じクラスになった小学生時代の経験からいっても、こういう事態がおき得る可能性は予測できはしたのだけれど。

(神様め.....)

高山と、田島って。似て非なる名前ではありませんか?
字面で見たら、接点が低いのではありませんか?
なんで、あいうえお順に世間は名前を並べたがるのか。
ひらがなめ!
平易な表現をしやがって!
うらむ。うらんでやる。

(うぅ.....)

ここでまた、高山修次を邪険になんて、出来ないじゃないか。
そんな、私の良心が痛むことは、もうしたくないじゃないか。
でも、一からまるで他人みたいになんて出来ないじゃないか。
小学校一緒なんだよ。まるまる他人作戦は無理に決まってる。
高山修次から、『お前、田島(タジマ)だろ?』と言われて....私は、『うん、そうだよ!久しぶり!』とでも言うのか???

(言えるかーーー!!)

言えるわっきゃねぇよ!
言えません。
言えるはずがありません!

すみません!
田島由香(タジマ ユカ)は、そんな強い人間違います!
弱い人間なんです。愚か者なんです!

(しかも。自己紹介が、回ってきてる!)

姓名を、正しく言って、一日でも早くクラスメイトと仲良くなるための第一歩。
人と人とが出会うとき。
それは、ご挨拶のとき。
あぁ、人間対人間の交流の基礎よ!
ここでウケたら案外この一年、楽しくやれちゃうかもよ!なイベントよ!
でも、ここで偽名を使うやつなんて居ない!
今まで由香ちゃんも、見たことない!うん。
たまに、おバカな奴が有名人の名前を名乗ったとしても、その後で、ちゃんと自分の名前を言うものだ。
あとは、愛称を自ら『けんちゃんデス』みたいに言ってみてしまうくらいだ。
でも、それはウケを狙うという行為であり、完全に誤魔化したいなどには通用しない。

「はい、次。高山修次」

新担任の声が、高山修次を指名する。
私は思わず、隣で立ち上がった高山修次の顔を見上げたくなった。
が、あわててチラッと顔を見ない角度でそちらを向きましたよアピール位の首の動きをしただけで抑えた。

「あー...吹奏楽部に入ってる高山です。一応、副部長やってます。一年、よろしくお願いします」

高山修次は、しごくまっとうな挨拶を終えると、まっとうに着席した。
あぁ。
この挨拶からして、高山修次は大変普通の人であり、過去とはいえ私があんなに毛嫌いするかの如く排除しなければならない対象なのではなかったろうにと、思う。

(悪いことをした。悪いことをした)

完璧、時効じみてるせいで蒸し返せない所が、本当に心苦しい。
吹奏楽部で、副部長だ。
きっと、なかなか人望もあついのに違いない。

「はい。次は、田島由香」

新担任は、名簿を見ながらそう言うと、私ににっこりと視線を合わせた。
くっ。
忘れて飛ばして下さればよかったのに!
そんな人のよさそうな顔をされたら、逆恨みし難い....。

「た、田島由香ですっ!ぶ、部活は入ってません.....っ。よ、よろしくお願いしましゅ...!」

か、噛んだ。
完全に、どもり。最期は、噛んだ!
あまりにも高山修次対応策を考えていたせいで、何もコメントを考えてなかったからとはいえ、挨拶すら噛むとは!!
あまりにも、はずかしい。
はずかしすぎて、高山修次を見れないからじゃなく、私は下を向くことしか出来なかった。

................。
それからの、自己紹介は全く記憶にない。
いや。それ以前も、あまり記憶にないのだが....。

(結局、高山修次の自己紹介しかまともに覚えてない.....)

第一。
高山修次が、吹奏楽部で副部長という事も、すでに承知のことだったし。
これでは、明日からが思いやられる。
いや、今からだって思いやられる。

(とりあえず。今日は、帰ろう....。明日から、一年間か....。長いな)

私は、バラバラと帰り出し、また部活へと出て行く新しいクラスメイト達と同じ様に席を立った。
少し違うところは、立ち上がる瞬間に大きな溜息をこぼした事だろう。

そして、私が立ち上がった時。
隣の高山修次も、立ち上がった気配がした。
もちろん、振り向くはずもない。
振り向けるはずもない。

どうせ、高山修次は部活なのだ。
帰宅部な自分とは、廊下から先、行き先が一緒になることはないのだ。

(安心だ。このまま、サクサク軽快に廊下を過ぎて階段を降り昇降口へ、だ!)

私は、帰るのだ。
帰宅するのだ。
帰宅部なのだ。

「なぁ。田島」

(..................)

だ、駄目だったか。
覚悟を、決めないとか。
この声は、明らかなり!高山修次!

「な、何?」

「お前、かばん持って帰んないの?」

「.........う、あー........」

かばん。か。
そうだよね。かばんね。
持って帰らないと、定期も財布もないよね。
くぅ......。
高山修次。なんで、そう、普通に良い人なんだ。
私が過去、君にした行為を忘れているのか?

「ありがとう、高山くん」

「田島」

「はい」

「かばんは、別に良いんだけどよ。田島」

「はい」

「田島由香だよな」

「.........」

(黙秘拳!)

って、それは無理か。
その、『田島由香だよな』は、今日同じクラスになった『田島由香だよな』ですか?
それとも、過去同じクラスになったことのある『田島由香だよな』ですか?

(って、明らかに。後者だよ)

「俺、ずっと田島に謝りたかったんだけど」

「は?」

謝るのはこっちだろ?
明らかに、あの日を境に、険悪な態度だった覚えはあるのだ。
理由は、不明だが。

高山は、持っていたかばんを私に渡すと、当たり前みたいに隣を歩き出した。

「........高山くん?」

「田島、帰るんだろ?今日は俺も部活ないし」

「........」

「バス、混むだろ?俺、自転車だから後ろで良かったら乗せてやるけど」

「..........はい」

こ、これはどういう展開か?
河原とかに連れて行かれて、殴り合いの喧嘩とかする気か?
断りたい気も、すっごくするが、私はうんと頷いていた。
負い目があるせいで、だろうか?
それとも、あまりの急展開だからだろうか?
一年を考えるより、まず今日という一日に目を向けるべきだった。

(.........)

(.........)

高山修次は、停めていた自転車を学校から少し離れるまで押して歩いてから、

「とりあえず、二人乗り禁止だしね」

と、学校が見えなくなった所で私を後ろにのせて漕ぎ出した。

「........」

「田島。もう少し、ちゃんと掴まっててくれるか?落ちそう」

「ご、ごめん.....なさい」

(.........。これは、何?)

この展開について、誰か説明をお願いします!
私は、完全に思考が停止しています。
高山修次よ、とりあえず答えをくれ!!!
謝らなきゃいけないとは、何故?
それと、この自転車二人乗りに関係はあるのか?
私は、一体全体、過去になにを。

自転車が、軽快に走っている。
自分で漕ぐときには感じられない、視界を景色が流れる世界。
春の、日差しの、なんかあったかい感じと。
高山修次の、背中の、なんかあったかい感じと。

(なんだ、これは。...........幸せ?)

ずっと、走って欲しいような。
何処までも、行ってって言いたいような。

と、思った途端。
高山修次は、唐突に自転車を停止させた。

「きゃ!」

などと、思わず可愛い感じの悲鳴が、勝手に出てしまって。
これが、たまらなくはずかしかった。
が、高山修次は、

「あ、悪ぃ」

と言っただけだった。

高山修次が自転車を止めたのは、私達の小学校が見下ろせる高台の道だった。

「ここ.....。え、何が?......ここ、何か?小学校見えるけど....」

もう、何を聞きたいのか分からず私はとりあえず、ただ口に出来る言葉を口にしていた。
高山修次はそんな私を見た後で、急に今までの強引な雰囲気をひっこめると、

「田島。あの時さ、本当ごめん」

「えっ....と、それ...どうして高山くんが謝るの、かが...ちょっと、分かんないんだけど......。というか、確実に、私が高山くんに謝るべきなんじゃ.....」

「え?何で?田島が、俺に?」

「や、だって。なんか、すごい嫌い嫌い連呼してた記憶が......」

「そりゃ.....そうだと思うし」

「........そうだと、思う?私が、嫌いって言ってたのが?」

「そりゃ。って.....田島、覚えてない?」

「なに、を?」

「あの時。俺が、嫌がってる田島に、虫を無理やり見せようとしたから、田島がそれで怒ってさ。だから......じゃん?」

「えっと、虫?」

「正確には、昆虫。カマキリとか、バッタとか。俺、あの頃は昆虫好きでさ。籠一杯とって来たやつを、自慢したくて無理やり田島に見せようとして、田島が怒ったんじゃん。俺、あんなにずっと嫌われるとか思ってなくてさ........。謝る機会も、もらえなかったし....さ。タイミングなくてさ、ずっと悪かったなって思ってたんだけど。だから、今日、隣になってさ、田島から完全無視とかされる前にさっさと謝っとけって!」

「昆虫......」

「あの時は、本当ごめんな。田島!」

「...そうだったのか。....」

「田島。許して、くれる?」

「うん」

「ありがとな!」

高山修次は、晴れ晴れした!という顔でニコリと笑った。
何だ、これは。
これは、一体なんなんだ。
というか。

(そうだよ。小学生なんだもん........)

嫌いって言っても、壮大な理由じゃない可能性だってあったのだ。
って事は、私はもう何年と、原因さえ覚えていれば苛まれることのなかった後悔をして来たという事か!
あぁ!なんてことだろう。
馬鹿馬鹿しい。
かなり、馬鹿馬鹿しい。

そりゃあ、大量な虫を無理やり見せられれば怒るだろう。
大嫌いだと、騒ぐくらいするだろう。
高山修次が、怒ることもないのも当然だ。

(だって、悪いのは高山修次じゃん!!!)


「あはっ....あはははははははっ!!」


笑っちゃう。
笑っちゃうしかないじゃないか!
笑えちゃうよ!

私はおかしくておかしくて、気が付けば高山修次の腕をバシバシ叩いて笑って笑って笑った。
高山修次は、私にバシバシ叩かれて、あの記憶と同じような困った目をしながらも、同じ様に笑っていた。

そして、

「隣同士、これからよろしくな!」


なんて言っちゃって。
やっぱり良い奴らしいのな、高山修次!!


                                 終
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by yoseatumejin | 2010-03-10 00:38 | 短文/(計19こ)

そらにキラリ。

題「そらにキラリ。」


「見ちゃったのよ、空!ほら、流星群。お父さん早出だったから、外暗いし、ちょっと出て、あぁーそうだったわぁって、空みたらね。一瞬で、シューって、あっという間に消えちゃったのよ。もう、感動して、初めて見たから流れ星!願い事とか、もう全然考えつかないわね。それよりも、感動しちゃって!」

私は、ウキウキと話す母を、お味噌汁をすすりながら、じっと見た。
なんだろう。こういう人を、幸せな人って言うんだろうなって思う。
だって、流れ星だもの。
私なんかより、断然乙女だ。

「今日まで見れるらしいから、あんたも見てみなさいよ!」
「ふーん.....」

ってゆうか、娘に夜更かしを勧めるなんて、駄目な母ね。と、曖昧に頷きながら考えた。
夜中なんて、実は起き慣れてるんだけど。でも、やっぱりね、いざ勧められちゃうと、ちょっと引いちゃうよね。
多分、流星群のために眠らずに居るっていうのが、私の性格というかキャラクターに合わないんだわ、きっと。
これが、友達とメールしてて。とか。
ネットでINしたゲームがやめられなくて。とか。
下らない理由で、人生の暗部を眺めちゃった。とか。
健全に、部活の筋肉痛。とか。
もっと、自分から離れてない感じの事が理由だったら、私は延々と真夜中を満喫したんだと思うけれど。

流星群って。

何だか、綺麗過ぎ。(まぁ、実際は、宇宙の塵なんだろうけど?)
これを見逃すと、七十年後って、多分死にかけてるし.....その頃には、もう今日の事なんて忘れてると思うし、何だかんだ言ったって、私が見ようと、見まいと、私の頭上では勝手に星達が、ひゅんひゅん流星ってるんでしょうとか、なんとかかんとか考えると、やっぱりどうだって良い事みたいに思える。

だから。
学校で、やっぱり一つのグループの子達が、流星群がどうとかこうとか。
見れたんだとか、きっとあれだったとか。見ようと思って、寝ちゃったとかね。
楽しそうに話しているというのは、まぁ、私的には「ここもか」って感じだ。
世の中には、乙女が多いんだって実感。
テレビでも、ニュースで言うんだし。世界の皆さんの大半は、乙女なんだろうなって思う。だって、学術的に観測してた人って、流星群を見ようって思った人口の多分半数もないよね?
きっと、世界八割が乙女だ。
そう考えると、私が生きてる世界って、何だか自分が思っているよりも甘ったるいのかもしれない。

校舎の窓の外から見える電柱だって、本当は砂糖が固まって出来てたりして。
(そう考えると、面白っ)
このガラス窓さえ、砂糖で出来てて、あのチョークも、黒板も、私が座っている椅子と机も、みんなみんな砂糖仕上げだ。
人は、砂糖なくして暮らしていけないのね。
(大変だ。大変)

って、私は自分の馬鹿げた思考を中断した。いや、完全停止させた。
流星群と、砂糖って。
繋げた私の思考の、アホだ。

先生が来て、今日の三時限目と四時限目とが調理実習だって伝えた。
あぁ、そうだ。
かったるいな。クッキーなんて、家で作っておけば?(好きなやつがね)と、思う。
前回の、ごはんと味噌汁と玉子焼きとほうれん草のおひたしよりマシ?
どうだかなぁ。
やっぱり、かったるさは、断然クッキーだよね。
カップケーキの時だって、綺麗に出来たものは可愛い女の子達のラッピング&男子プレゼントへ変貌した訳で。
今回も、そういう結果だよね。
家で作って持ってこいよ。とか、思っちゃダメなんだよね。
たまたま。という要素が大事だからね。
あぁ、本当に世界は乙女に出来てるんだ。


だからね。
部活が終わって、サクサクと帰る事に集中して歩いていた私は、驚いたわけだよね。
お腹だって、空いてるし。
空は、暗いしね。
流星群は、夜中だしね。関係ないしね。
全然、意識はしてなかったわけだよね。

「加藤!」
って、呼ばれて。
それが、自分の苗字でしたとかね。思わないわけだ。
呼ばれたって意識が、なかった。

でも、二度目に「加藤!」って言われて、とりあえず足が先に(あ、これ自分じゃね?)って反応した。
「......?」
「お、お前さ」
「何?」
振り返って、呼び止めた相手が、クラスメイトの男子だったと判明しても、親しくはないやつでは無愛想にもなる。
まぁ、名前は知ってる。眼鏡の、山口だ。
「流星群、見たか?」
「.............」

私が、『こいつは、馬鹿か?』と、口にしたかった事は、私を知る者なら万人が理解してくれただろう。
山口。
お前の目は、本当に悪いな。

「.........流星群な、今、見れるんだって。星がな、すごく一杯流れるから、見れるんだって」
「............」
「加藤?」
「山口君、それがどうした訳?」
「あ、加藤もう、流星群知ってる!?」

知らないやつは、いねぇよ。
と、言いたいが、きっと知らない人も五万と居るだろうと思うし、ここは再度沈黙だ。

「..........」

「加藤は…そういうの、興味ないか」
「ない」

あるわけが、ない。
これだけは、言ってやる。親切だ。

山口は、傍目に分かりやすく落胆した。
普段親しくない人間に話しかけると、己の考えていたキャラクターと違う時があるのは認めよう。私は、傍目にも分かりやすいタイプだと思っていたけれど、山口的には違ったんだね。残念。実は、こんなだ。

でも、山口は何が目的でこの空腹を抱えた少女に(と、とりあえず少女と自分を言っておく。年齢的に)こんな実のない会話を仕掛けてきたのだろうか?
山口に伝わった私に関する情報に、星好きとでもあったんだろうか?だとしたら、駄目な情報源だな。
それとも、誰か別の加藤なんちゃらさんと間違えたか?山口は、目が悪そうだからね。
何にしろ、全く私とは縁がない状況が続いているのが、今だ。

「山口君」
「............」
「じゃあ、」
「............」
「ね」
「............」

何だよ。
今度は、お前が沈黙か?
一応、去り際という意味で挙げた手が空しい位置になってるじゃないか。
山口。
こいつ、なんかイラっと来るな。

と、私が思った瞬間。
山口は、何やらをいきなり私の半端に上がった手へ向かって投げていた。

「うぁ!」

思わず、変な声と共に慌てて、それを掴んだ。
ソフトボール部を、なめんなよ。と、言いたい気分だ。
が、掴んだソレが、己の手の中で、ボロというかグズっというか.......とりあえず、何かがどうかなってしまった事に、気を取られてしまったゆえに、何も言えなかった。

山口は、私がそれをぐしゃりと握っているのを確認すると、
「それ、やる!」
と言って、ダッシュで去っていた。

(最悪だ、山口)

お前は、何なんだ。何が目的だったんだ?
全く、分からないぞ。
明日から、私がお前を見る目がどうなるか、もっと良く考えてから行動した方が良い。
人間には、それが大切だ。

(........あいつは、バカだ)


私は、山口(バカ)が投げてよこしたものを、見た。
銀紙に包まった。
調理実習の、クッキー。(ボロボロ)
「.......女子か?」
と、思わず呟いてしまった。
これを、何故私に.....。恋か?恋なのか?山口?
(.........バカだ)

バカだ。山口。バカだ。

あいつ、バカだ。山口。

「はっ...あはははははっ!」


駄目だ。もう、おかしくて笑うしかない。
だって、クッキー!
ボロボロじゃないか。
投げるからだ。
プレゼントするのに、銀紙って何だ。
本当に、これ、意地悪とかじゃないか?大丈夫か?
ねぇ。正解か?
これが、正しいプレゼントの渡し方か?


「あー!アホーー!」
「第一、流星群なんて、私が、見るわけないじゃん!」
「っ、ねぇ!」


部活帰りの空は、もう真っ暗なんだよ。

でもまだ、流れ星を見れる時間なんかじゃない。
もっと、もっと、夜にならなきゃ流星群なんて見れない。

私は、悪いけれど乙女じゃないのだ。

だから、とりあえず。
銀紙の星くずで、満足して笑ってやるのだよ。ね。

                                          終
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by yoseatumejin | 2009-10-27 22:48 | 短文/(計19こ)

風と、グラス(全1回)

題  風と、グラス



黙っていても良かったんだ、と彼は一人ごちた。


一人旅になれた彼にとって、見渡す限りの平原は見慣れたものでもあった。
膝上まで、夏の匂いを感じさせる草々がゆったりと風の流れにまかせて遊んでいた。
猫じゃらしが、遊ぶ相手もなくふわふわと踊り、彼にここには居ない猫達が愉し気に前足を動かす様を想像した。
(もし自分が猫だったら、今頃は夢中で遊んでいるんだろうな)
そう考えて、ふっと頬が緩む。

けれども彼は、微笑の残りを口の端にだけ見せながら、一歩、二歩、三歩目をのろりと前に出した後、惰性で歩む事を止めた様に立ち止まっていた。
風が、そんな彼のTシャツの端をパタパタとなびかせる。
「…………」
肩に背負ったリュックを、改めて中身を確かめるように一度だけ揺する。
「黙っていても良かったんだが…」
彼は、とうとうと堪え切れなくなった事を苦々しく思っている声をあげた。


旅の空の下では、道々誰かに出会う事もあり、またこの世界に唯一人であるかのように誰にも出会わぬ間もあるものだった。
それを自由と感じるか、それを孤独と感じるか。
それもまた、彼の感情次第でどうにでもなった。
彼にとって一人旅は、誰かと関わり合っている状態であれど、己が何処まで行こうとも一人という形で旅をする事で、一個体以上にならないという点が重要だった。
他人という存在と、完全に切り離されている事が重要だった。

「ようございましたこと」
女は、夏には似合わぬ長いトレンチコートにつばの短い帽子、小さめのトランクを片手に美しい微笑みをたたえてそう言った。
彼は、振り返った先で、季節にも時代にも似合わぬ女を見やり、やはり自分は他人なぞに関わるべきではないなと嘆息した。
「ようございましたこと」
女は、彼の耳に先ほどの己の言葉が届いていなかったとでも言うように同じ台詞を、幾分トーンを強めて繰り返した。
「聞こえています」
「あらそう。良かった。ずっと、ずっと、後ろを歩いてまいりましたけれど、ちっともお振り返りにならないんだもの。やっと振り返って下さったと思えば、そのように怖いお顔をなさってらっしゃる。私が何か致しました?」
白い手首までの手袋を、片頬にあてながら女はカツカツと彼に近づいて行った。
思わず、一歩二歩と間を空けながら、彼は女の顔をじっと見た。
夏の日に照らされた女の肌は、青空の中に湧き上がる入道雲の白さを吸い取ってみせた様に白く、右の目元にある一つぎりのほくろが生めかしい。
二重の切れ長の両眼には、熟した無花果のように甘く深みのある黒目が座していた。
「いえ、何も」
彼は、気が付けば女の顔が間近にあるのにハッとなりながら首を振っていた。
やはり振り返ってはいけなかったのだ。
自分の額にも、頬にも、暑さによる汗が流れているというのに、この女には何も流れてはいないではないか。
ずっと、ずっと、彼はこの女が己の後ろを歩いている事を知っていた。
それは、道々で出会う人間とは全く意味を異している状態だと分かっていた。
つけられているというのとも違う。
ただ、女は、自分の影がいつもそこにある様に、彼の後ろをずっとずっと歩いていた。
何処へ行こうと、時にはその存在を彼が忘れる日があっても。
(まるで幽霊のようだ)
最初のうちは、気味の悪さからそう思ったが、幽霊というには生気があり、彼は次第に女の存在をただただ振り返って見てはならぬものだと思う様になっていた。
存在を、黙殺する事に彼は決めたのだ。
なのに。
(振り返ってしまった)

女は、彼がただじっと自分を見下ろしている姿に何処か満足した様で、悠然と言う名が相応しい笑みをこぼした。
彼の頬に伝う汗へと、刺繍取りされた白いハンカチをあてて行く。
そのハンカチに染み込ませてあるのか、彼の鼻孔をうっすらと甘いアケビの実を剥いた時に匂うような香りがくすぐった。
「あなたは、誰だ…」
彼は、決して聞かなくても良い台詞を発していた。
そして、一陣の風が、彼の台詞をかき消すように二人の間を通り抜け、女の手からハンカチを舞い躍らせていた。
「あ…」
と、彼が空に吸い寄せられる様に舞い上がったハンカチに視線を逸らした時。
その後を追う様に、帽子が舞い、トレンチコートが舞い、白い手袋が舞い、トランクが舞い、女の手が、足が、笑い声をあげる美しい顔が、全てが、フィギア人形を分解し風に飛ばした様に、舞って行っていた。
それは、まるで意味をなさぬ現象とも言えた。
(これは、現実ではない)
血も流さずに、女がバラバラになりながら風に舞い上がって行く事など現実に起きる事ではない。
彼は、もう遠く青い空の彼方へと消えた存在に、ゆっくりと開放されて行くように呼吸をした。
ゆっくりと、吸って吐いて、胸が上下する事で、自分が現実の側にいる事を確かめて行くのに時間を費やした。

「黙っていても良かったのに…」

長い時間をかけた後。彼は、自分の身に結局は何も起こってはいない事を理解し、やっとそう呟いていた。


男は、彼の話を聞き終わると、蜜色をしたランプを相手にしていたかのように、それをじっと見ながら、ハハハと笑った。
そして、カウンターに雫を落とすグラスを肩肘つきながらグイと一口飲んだ。
「君は、それで一人旅を止めたわけだね」
「まぁ…。それが理由という訳ではありませんが。あれから、どうしても自分が一人である事を実感出来なくなった気がするんです。そぞろ立つとでも言うんでしょうかね。自分が理解していた自分というものに、何となく自信が持てなくなったんです。あの女が後ろを歩いていると分かっていた時には、自分は自分だと何の疑問もなく感じていられたんですが…。空に舞い上がりながら笑っていた女の声が、耳から離れなくなってしまったんですよ。こう気味が悪くては、旅をしていても意味がないかと」
彼は、自分の前にあるハイボールのグラスをじっと見つめながら、男の問いに答えていた。
グラスの表面を流れる水滴が、まるで汗の様で、白いハンカチでふき取ってやりたい衝動にかられる。
「それは、何。まぁ、旅に終わりはつきものという事ですよ」
男は、オンザロックのおかわりをバーテンに指だけで注文すると、彼の横顔を見た。
彼の目は、男の視線を感じていないかの様に、ただただグラスについた水滴に魅入られている。
「それで、君。旅を止めて、これから何をするんですか?」
「……そうですね。誰かの役に立つ様な仕事にでも就くつもりです」
「ほう」
愉し気に感嘆すると、男は新しいオンザロックを置いたバーテンに「彼のグラスを」と一言伝える。
「はい」
バーテンは、洗練された簡素な返事で頷くと、彼がじっと見つめていたグラスを静かに持ち上げて、真っ白なナプキンでその雫をふき取って置いた。


                                      終
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by yoseatumejin | 2009-08-20 00:24 | 短文/(計19こ)

「個室考」(全1回)

題「個室考(こしつこう)」


  秘して見られる者あり。


いや全く、個室たる物の利便性高き事は、僕の様な人間が千言を費やすより、皆様の方が先刻承知の事であろうと思う。
一ヶ時間程、個室を利用なさった事があれば、実に個室が快適であり、人間本来の自由を求める欲求に悠然と応えてくれる存在であると知れる。
なに、この中に入る時まで、紳士淑女老若男女の皆様は、ただただその顔(かんばせ)に面映ゆそうな微笑を湛えておけば良いのだ。
扉を閉め、鍵を掛けたが最後。
貴方は、貴方の望む侭に振る舞えるのである。
突如に、狭き個室内を駆け馬の如く闊歩しても良し。
憚る人目もない個室、脱ぎたいものは全て脱ぎたまえ。
大声で耳の遠くなり気味な婆様が、長年連れ添った爺様相手に癇癪を続けても、嫁や息子に止められる心配もないのである。
「なにが金婚式のお祝いですか!こげなホテルの高いフランスさんのコぉス料理だのに、まんまと連れて来られてっ⋯!貴男には、私がどんなに恥ずかしかったか、お分かりですか!フォークやナイフが使えんと、給仕さんに箸を持って来られる悔しさを〜っ⋯⋯あぁ!恥ずかしかっ⋯!!嫁ば、私がいっこん食べれんとを見て『あら、お母様。食が細くていけませんわ』ち言うたんよ。なーにが、お母様ね!そんな呼び方されたんは、今日が初めてったい!!陰じゃ、クソババクソババ言うとう癖に⋯!あぁ、恥ずかしか!箸でおフランスさんを食べないけんなんて、もう恥ずかしか!、死んでしまいたい言うんは、こういう事を言うんやねっ⋯!えぇ、えぇ!今日こそ、よく分かりました!ナマンダブナマンダブ」
勿論、隣の個室では、嫁が高笑いしておりますが、これも個室の事。自由に気侭に。
「あぁ!お母様、お母様、お母様っ!あぁ、可笑し!本当にお目出度いわ。ねぇ、金婚式ですものねぇ。精一杯、心を込めてお祝いして差し上げなくちゃ申し訳ないわよね。私、東京旅行と沖縄旅行と何方(どちら)がよろしいですか?って、事前にお母様に聞いたのよ?そうしたら、お母様が『暑い所は好かんけん、東京で良ぇ』って言ったんだもの。そう言われちゃうと、此方としてもお母様が今迄一度も経験した事がない様な、素晴らしい思い出に残るお祝いをしなくちゃと思うでしょ。ねぇ、素敵!今夜は、貴方と結婚して、一番心が晴れ晴れとしている夜だわ。貴方っ」
蛇の舌の如き接吻と共に、抱き付かれた息子殿の心持ちにだけは、哀悼の意を示してしまいたいものですが、まぁこれはこれで個室ならではなのです。


まぁ、全く。この様に、個室の扉が閉められた後とは、人間万歳の世界である。
かく言う僕も、備え付けの狭い机を益々狭める様に空けた麦酒瓶を並べては、病人染みたパジャマに着替えて、髪でも尻でもワシワシ掻いているのだから、個室様々である。
もし、個室に入っても、何をするでもなくソファに座って一夜を明かす様な男もあるやもしれぬ。だが、僕から言わせれば、それは君、可哀相な男と言える。きっと、解雇通知を受け取った事を家族に言えぬばかりか、大事に隠して来た愛人にも別れを告げねばならぬのだ。買ってやったマンションだって、売ってしまわねばいけない。いや、何よりも解雇されたと知ったなら、妻は彼と別れたがる事であろう。そこに、愛人が涙ながらにやって来て『奥様が要らぬとおっしゃるなら、どうか私に彼を下さいませ』なんて。ややこしい事を言い出す始末である。
こうなっては、別れられるものも別れられぬ。いや、でも、妻は慰謝料だけは欲しく思う。
なにせ妻には、パートタイムで知り合った色がある。
うだつの上がらぬ色の為には、まとまった金は有難い。貰えるものなら貰いたい。いや、いや、それだけでは済まないのだ。妻には、彼に内緒の借金が彼の月給三ヶ月分程あるのだ。色に着せてるスーツが、彼の月給から作られている位の、可愛い額だと妻は思っているが、支払うとなるとこれがなかなか苦しい。
家計に掛かる費用を抑えてみても、色と使う個室の代金は抑えられぬし。毎度毎度の逢瀬に、同じ服と言うのじゃ、女じゃなし。季節だって巡り来る。
全く世間を渡るには、金が居ると、妻は彼より承知である。
ソファに座って一夜を明かしている男が、果たして個室の扉を開けて何処へ行くのか。それは気になる行方であるが、まぁ、この様な男の場合、後数回は個室を訪れては、まんじりと夜明けを眺めて居るだろう。


個室の中では、喜劇も悲劇も人情劇も一緒くたで良いのだ。
金持ち社長が、若い娘に土下座しておろうとも。その頭に乗っていた鬘(かつら)を、娘が裸足で蹴り飛ばそうとも、自由なのである。
何、社長様は嬉しそうに、涙ながらに裸足に縋っている。娘の方は、娘の方で、右の目には嫌悪を宿しておる癖に、左の目にはサンタ・マリアの慈愛が濡れているのである。
二人は確かに、互いの中にある種の愛を感じている。そして、当然の如き憎しみも。
女一人が、楽しそうに旅行の雑誌と一緒にベッドに横たわっている。その横には、愛犬の写真なども広げてある。カメラの中には、今日の旅が思い出となって残っているのかもしれない。
その時、電話が鳴った。
女は、携帯画面を眺めて沈黙した後、努めて明るい声をあげた。
「あら、ママ!こんな時間にどうしたの?え⋯、私?私は、まだ仕事中よ。そう、取材撮影。今日はホテルに泊まっているの。明日は、東京に戻るつもりよ。もう、ママったら!⋯そんな事は、ないって何度も言ってるでしょ!えぇ。えぇ。大丈夫よ。部屋だって、別だし。ママが心配する様な仕事じゃないってば!⋯⋯うん。はい。ちゃんと食べる。えぇ。おやすみなさい」
にこやかに電話を切った女は、電話を放り出すと、うううっと小さく啜り泣き出した。
そこに、ノック音。
「×××ちゃ〜ん。そろそろ本番だよー!」
「はぁ〜い!」
女は、またも明るい声で答えると、涙の跡に頬紅を入れ直した後、蝶の如き足取りで個室の外へと舞い出て行った。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

編輯M 「結局これは、何なのですか」
  僕 「個室に缶詰にされた僕の、精一杯の苦情です」
編輯M 「はぁ。苦情ですか」
  僕 「苦情です」
編輯M 「このホテルの事ですか」
  僕 「いいえ」
編輯M 「このホテル、五月蝿かったですか」
  僕 「はい」
編輯M 「⋯⋯。では、私はこれを急いで社に持って行かねばなりませんので」
  僕 「今からで間に合いますか」
編輯M 「間に合わせなくては、いけません」
  僕 「間に合うんですね」
編輯M 「何時も間に合うと、思わないで下さい。今回は、間に合います」
  僕 「有難う」

編輯Mは、僕が転がしておいた麦酒瓶を、三、四と蹴飛ばしながら、我が個室から消えて行った。



  終わり
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by yoseatumejin | 2007-04-19 10:00 | 短文/(計19こ)

最終列車「東京」(全1回)



題 最終列車「東京」


 仄、青白い夜の駅構内。
 二番ホームでは、下りの快速として入っていた青いストライプの八両編成の列車が、小休止を終えて唸り始める時刻だ。
 この青線の列車こそが、終着駅であるこの小さな街を出て、東京へと向う最終列車だった。

 この街は、東京から少しだけ遠い。
 ベッドタウンの最果ての街は、億劫がらなければ日帰りで東京へと遊びに行ける所から、それなりの人口で栄えている。
 言ってしまえば、普通の街で、何処にでもあるものがあって、何処にでも居る奴が住んでいる。そんな街だ。
 だから、この街の若者達は、この街のそこそこ都会な所に満足し、そこそこ田舎である事にも満足し、自分達の目に届く範囲に「東京」がある事に満足しながら生きて居る。

『ちょっと足を伸ばせば、すぐに行ける』

 この国の中心に住まう、同世代の者達と、自分達が何も変わらないだろう事に安堵しながら。

 だが、この街にも「東京」へ向う最終列車が存在する。
 遠い九州の若者が、遠い北国の若者が、夜行列車に乗り込む様に、この街を出て東京へ向う若者が乗る列車が存在する。
 それが、最終列車「東京」なのだ。
 列車は、午後の十時半という中途半端な夜の闇に見送られ、〇時六分という不夜城「東京」の始まりともいえる時間に到着する。

『なんて、明るいんだろう……』

 重たいバッグ一つを抱え、ネオンの洪水に照らされて、若者はじっと立ち竦んだ。
(十二時といえば、夜中じゃないか)
 否、「東京」にその言葉は必要ではない。
 この街は、眠らないのだ。それがこの街の、普通なのだ。
 若者は、今迄満足していた自分の街が、やけにちっぽけに見えて来て苦笑した。
 昨日まで満足していた都会は、都会ではなかったのだ。本物とは、こういうものだ。大勢の人間が、渦の様に蠢き、快楽を求めて波打つ。
 若者は、その波の白粒へ、今自分が成った事を感じながら、動き出した。
『夢を叶えるには、やっぱり東京に出るしかない』
(出て良かったんだ)
 若者は皆と共に歩き出した事で、まるで自分が目標に向って真っ直ぐ進んでいる様な気がして安堵した。
『自分には、夢がある』
『叶えたい夢がある』
(東京なら、叶えられる)
 明るいネオンと人垣は、まるで自分を上へ上へと送り挙げる花道の様に続いていた。

 −−−元気で、やってるかー?

 電話口で、そう聞く友の声に、若者は「あぁ」と答えた。
 元気か? と問われて、否定する程でも肯定する程でもない今の自分の精神を、若者はどんな言葉で表現して良いのか分からなかったからだ。
 電話の向こう。
 若者は、そこで起きている色々な事柄を聞かされても、今ではもう懐かしいと思わなくなっていた。それよりも、随分と瑣末で下らない事しか起きていないなと感じる。
(俺は、あの街の何に満足をしていたんだろうな)
『東京では、そんなの当り前過ぎるぜ?』
 若者はセセラと笑うと、長くなった電話を切った。

 東京の朝は、不夜城という顔を持って居る事を感じさせない程にストイックだ。
 きっちりと着込んだ、ネクタイスーツのサラリーマン。
 ヒールの高さを気にする事なく、速足で過ぎ去るOL。
 何処のものか分からない程、入り乱れ溢れている制服姿の中高生達。
 若者は、彼等を地下鉄のホームでぼんやりと遣り過ごして、空き始めた列車に乗り込んだ。そうすると、自分と同じ様な、目的がある様だか何処へ向うのか一見しては分からない者達の姿が目に映る。
(此奴等、何処へ行くんだろう)
 皆、列車に乗っているのに何処へ行くのか見えては来ない。一人、二人と各駅毎に消えては行くが、同じ様な人間が乗り込んで来るので、まるで永遠に変わらない世界の様に思えた。
 若者は、隣で眠った様に腕組みをしている男が付けているヘッドフォンから洩れ聞こえる曲に耳を澄ませた。
『知ってる曲だ』
 そんな事に、妙に安心する。
 自分がまだ、東京の常識から落ちこぼれてはいない気がする。だが、若者は『まだ』と考えた自分を少し嫌悪した。
(まだ、なんて…ギリギリみたいじゃねぇか…)
 東京という世界の最後尾に、必死でくっついている田舎者の惨めさを感じさせられた気がして、若者はヘッドフォンの男から逃げる様に列車を降りた。

 何日もを、東京で過ごして、若者は『生活』に追われる様になっていた。
 夢を叶える筈の場所は、若者の生活基盤へと変化していた。
 東京に住み続ける事が、目的となり、東京にある快楽の、全てを享受したいと思っている自分が居る事を、若者は感じていた。
(此処には、全てがある)
 新しいもの程、手に入り易い。
 見たいものが、確実にやって来る。
 金があればあるだけを、気楽に使える場所が用意されている。
 気が付けば、若者は、働いていた。
 より条件の良い所を求めながら。

 月日の果てに、仄青い駅に、嘗ての若者は立っていた。

「見送り、かね?」
 若者だった男は、二番ホームのベンチに座る初老の男から声を掛けられ、見ていた列車から視線を動かした。
「いえ…ただ、懐かしくて…」
 男は一度だけ首を横に動かすと、胸ポケットからピースの箱を取り出した。二本引き抜き、老人に差し出すと、彼等は黙ってそれらに火を灯した。
 青いラインの列車の扉には、若者達の一団が群れている。
『頑張れよ!』
『しっかりな!』
『絶対遊びに行くから!』
 友人に見送られる若者は、隣に少女を連れていた。
(二人で、出て行くのか…)
 どんな理由があって、ほど近い東京へと二人で出て行くのだろうか。
 男は、友に囲まれ幸福そうに笑う二人が、この列車を選んだ理由を分かる気がしながらも、何故この列車に乗って出ていかなければいけないのか分からない自分を感じていた。
(もう俺には、必要のない列車なのだな…)
 最終列車「東京」は、ただ東京へと向う最後の列車ではないのだ。
 この街から、東京へ……二度と戻らぬ事を、己に誓った者が乗る列車なのだから。

 嘗ての自分が、そうであった様に。彼等もまた、向う。

「お前さんも、乗ったクチかね?」
 老人は煙を億劫そうに吐き出すと、のろりと言った。
「えぇ…昔の事ですよ」
「そうかい」
「はい…」
 男はそう答えた後、銜えていた煙草を吸っていなかった事に気が付き、諦めた様にそれを揉み消した。
(この列車を前にして、あの若者達を前にして、俺が勝てる筈などないのだ)
 若者だった自分は、ある時、ぷっつりと東京が見せてくれていた夢から目覚めた。
『俺の夢は、ただの夢になっていたんだ……』
 東京は、夢を持っていると『言う』だけで住む事が許される街だった。
 夢があるのだと思っていれば、今日の惰性を許される街だった。
 男は、何も手にしていない自分を鏡に見て、初めてそれを知ったのだ。
 老人はジッっと音を立てて消えた煙草殻を見やると、男に話掛けると言うよりも、語る様に言葉を紡いだ。
「オレも、その昔あの列車に乗ったのさ…。キラキラ光るもんにばっか目の行く奴だったからな、似合いの街だった」

 ジリリリリリッ。

 発車のベルと共に、プシュリと音を立てて扉が閉まると、見送りの若者達は先よりも大きな声で二人に声援を送り、手を振った。
 窓の向こうの二人も、寄り添う様に立ったまま、手を振り返している。
 希望に満ちた彼等を乗せ、青ラインの列車は、低く唸っていた巨体をじわりと前に進めると、しゅるしゅると青いホームを抜け出す様に走り出した。
(……頑張れよ)
 男は、消えて行った列車と、見送りを終らせ賑やかに階段を昇って行く若者達を見過ごした後、老人に軽く会釈して自分もまたホームを後にした。
 老人は、そんな男の顔を一瞬探る様に見た後、指に挟んでいた煙草を軽く持ち上げた。
 それはまるで、

 −−−もう、此処に来ない方がお前さんの為だろうよ。

 と男に告げていた。

 東京には、うねる程に人が居る。一人二人増えようとも、一人二人消えようとも、問題ない程に溢れている。
 そして、若者の夢と同じものが幾つも転がっていた。
 若者が東京を去ろうと、心に決めた日。
 まるで見ていたかの様に鳴った友からの電話に、彼は泣いた。
『東京はさ…天井が、低いんだよっ……迫って来るみたいに、押し潰されそうになる程に…何処もかしこも低いんだ……その天井を見る事が俺は…もう怖いっ…。俺を押し潰しそうな東京が…怖いんだ……っ…』
 若者は嗚咽の間にそう言葉を紡ぎながら、それでも己の心が東京を求めている事を感じていた。
 それは、砂の楼閣。蜃気楼(まぼろし)のオアシス。
 夢を持った心が求めて止まない、執着の駅。

 改札口を出た男は、風に煽られる様に振り返った先に、青白い駅舎に照らされた満月の姿を見た。
(掴めそうな、月だ……)
(こんな俺でも、掴めそうだと思える月だ……)
 男は心中、そう感じる自分を滑稽だと思いながらも、そろりと宙に手を伸ばした。
 手の平を上にして、きゅっと掴む。
 握った拳の中に、月が隠れて、男はハハハと声を出して笑った。
(これが、故郷の優しさってやつなのかもしれないな……)

 東京は、優しい街だ。
 夢を持つ者に、最も寛容な街だ。
 この街は、優しい街だ。
 夢を失った者に、最も寛容な街だ。

 男は、掴んでいた月をその手から開放してやると、自分以外の人影を見ない宵闇の道をとつとつと歩き出したのだった。


  終わり
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by yoseatumejin | 2006-08-29 21:33 | 短文/(計19こ)

「なにかナマケモノ」(全1回)

題 「なにかナマケモノ」


 なにか遣りたいと思うのですが、どうにもこうにも前進不可能。
 そんな停滞気味の心根ではいけないと、あっちやこっちをエイエイ押してみましたが、体も心もナマケモノの私はだらくさと時間を費やすに至るのでした。


「ママは、ナマケモノだー!」
 我が息子にそんな事を言われる、私。
 基本的には、母親失格なのかしら?息子に馬鹿にされてるんですもの、人間失格かしら。
 でも、ママは面倒くさいので
「はいはい」
と相槌する位で息子を退けた。
 ごめんなさいね。ママは適当に生きてます。
 大人だからかしらね?
 子供だった時の私は、もっと色々真剣になれる事を持っていたもの。
 本だって読んでたし、詩集を片手に人生を考えたりもしていたわ。それなのに、今の私ってば息子から『ナマケモノだ』と言われる始末。
 やってられない。
 いつからこんな風に、毎日意味もなくテレビを見てるか生活してるかの女になっちゃったのかしら。


 そして、旦那から馬鹿にされる体型にもなってる私。
 ダイエットを試みても、自分で作ってるから勿体なくて食べちゃうし、家族のためにメニューを考えて自分の分を別に作ったりなんて本当面倒でやってられない。
 だから、同じものを食べちゃう。
 こそっとスーパーの近くにある美味しいケーキ屋さんで、シュークリームもゲットしちゃう。
 そう言えば、ゲットって息子が良く言ってたから自分も何気に使う様になった言葉。
 流石に口に出して言いはしないけれど、こういう時にはゲットなのよね。


 息子の部屋をたまに片付けると、子供の流行が分かる。
 昔から見知っている流行の「キャラクター絵付き文具」や、駄菓子屋で売ってるおもちゃなんかは、刷り込んである顔が違う位で形は変わらない。
「懐かしいなぁ」
 なんて呟いて、息子の机の上から『練りケシ』を摘んだ。ウニウニって潰して、柔らかくする。それからビーッと引き伸ばすとささくれみたいな糸が引けて、私はそれが机の上にぬらぁって緩く落ちていくのを楽しく眺めた。
 その柔らかい糸の束を、指先でぎゅうと押して指の腹にくっつけては集め直す。
「ふふっ」
 可笑しい気持ち。子供の頃はこれを何回も真剣に繰り返して、なかなか良い出来のものなんか、机の上に乗っけたまんま大事にしてた。
 もちろん、直ぐに不可抗力で壊しちゃうんだけど........。
 今じゃ、一回遊んだらもういいやって思っちゃう。
 大人には、時間の無駄に見えるだけなのよね。こんな事を何回もやる事なんて。
 そうやってママは一段落してから、可愛い息子の部屋をちゃんと掃除してあげた。
 こういう点、結構頑張ってると思うんだけど皆『ママなんだからやって当然』って思ってる。
 ソコが、ムカツクー!のよね。
 放棄出来るなら、今すぐしちゃいたい。
 火曜日と金曜日が燃えるゴミ。水曜日がカン・ビン・ペットボトル。三ヶ月に一回は周辺のお掃除に参加しなくちゃいけなくて、一年に何回かある町内会には絶対私が行かなくちゃいけない。
「パパなんて、年末の大掃除だけが自分の仕事だと思ってるのよねぇ」
 それだってなんやかんやと理由をつけて、勿体ぶってくれちゃうんだから。
 ヤダ、ヤダ、ヤダ。


 息子と旦那の居ない午後は、うとうと眠るのが一番。
 やっぱりこれは、楽しい。
 起きたら夕飯の買い物して作って食べさせて片づけて、お風呂掃除して、明日のためにお米準備しなくちゃいけないんだから、ちょっと休憩。
 毎日毎日やってると、ちょっと厭きちゃう。でも、生活ってこれの繰り返しだ。
 パートで仕事に出た日は、これをやらなくて良いならとても嬉しいのに。
 帰って来てもあるんだな、コレが。
 息子はおやつって煩いし、旦那はつまみって煩い。
 エイエイエイ!
 魔法のステッキを誰かちょうだいって思う。


 そうでした。
 今日は、お友達が二人遊びに来るんでした。息子が今より小さい時に仲良くなったママ達。
 どうしてだか不思議な位、子供の名前プラスママって呼ぶ仲なんだよね。(そうじゃなければ、名字にさん付けがほとんど!)
 つまり、私は『勇気(ゆうき)君のママ』。
 これって、大人な私達が随分と子供達に依存している証拠かな。
 子供達が居なくっちゃ、ママ達は上手にコミュニケーションを取れないの。大人なのに変だけど、子供のネタと旦那の愚痴以外はとんと会話が弾まない。
 私は勇気君のママとして、勇気がどうしたとかパパがああしたとかこの前遊びに行った遊園地はなかなか楽しかったわよとか言う。
『勇気がハシャイじゃってもう大変。一人っ子って、やっぱりワガママよぉ』
『パパなんか、すーぐ疲れたぁって言ってベンチにゴロンよ。たまの日曜なんだから、家族サービス頑張って欲しいのに、お酒飲んじゃって勇気の相手もしてくれない』
『あーぁ、たまにはノンビリしたいわねぇ』
 ここで、和人(かずと)君のママと花実(はなみ)ちゃんのママが声を揃えてくれる。
『そうよねぇー』
 そうして、今度は皆の番。無意識に平等で均等に愚痴る。
 和人君のママの悩みは、和人君が大人しいから学校で苛められないかと心配な事と旦那さんが転勤の有りそうな部署に回っちゃった事。
 花実ちゃんのママの悩みは、花実ちゃんがちょっと反抗的な事と旦那さんのお義母さんとの仲の事。
 皆、色々悩んでる。
 それも、自分の事というより家族って事で。
 私は二人の話を聞きながらふっと思う。
 母親って人種が一番、『家族』ってものが好きなのかもって。息子や旦那は好き勝手やってる、なのに私は毎日毎日........そう思うのは、私達が一番『家族』って枠を大切にしているからなのかもしれない。だから、愚痴っちゃう。家族が『家族』としてちゃんとしてないと、文句言っちゃう。
 じゃあ、『家族』ってものと『旦那・私・息子』ってものとは、私にとって同じじゃないの?
 ............うーん、自分の問なのにワカリマセンだ。
 実際、私は分からない。家族って言葉は知っていても、『家族』という形は分からない。
 ただ、私は二人を自分の大切な『家族』だって思ってる。それだけ。
 うん、とってもシンプルにそれだけ。
 本を読まなくなって、詩集を片手に想い耽けなくなって、少女でもなくなって、恋愛に燃えなくなって、私はとても単純になっちゃった。
 考えられなくなった時点で、終了。
 深く深く落ち込まない。ずっとずっと泣いたりしない。
 奥さんって呼ばれて、ママって呼ばれて、おいって呼ばれたら直ぐに
『はいはい』
って返事をしてあげなくちゃいけないし、答えてあげたいから、私は難しい事は知らないし知りたいとも思わない。
 それって、やっぱり駄目かしら。
 今は良いけれど、何十年か後に後悔するわよって言われるのかしら。
 ちょっとそれも正しい気がする。
 だから時々呟く、『なにか遣りたいわ』って。
 でも、直ぐに面倒くさいって思っちゃう。良いじゃないって思っちゃう。忙しいのって思っちゃう。
 エイエイエイって頑張るには、私は根性がなさ過ぎる。
 それに、昔から趣味なんてものもなかったのよね。そういう人間だから、まず『なにか遣りたい』の『なにか』の部分が大変。
 なにかって、何?何をしたい?何なら出来る?お金は掛けられない、時間だって長くは無理、変に面倒くさい集まりがあるのも嫌。条件がまず合わない。
 昼間の数時間。
 確かにテレビを見て一段落しているだけですよ。そのテレビだって、見たくて見ているモノじゃないけれど、その時間を割り当てる程『なにか』を遣りたくはないのです。
 あらら、私ってばかなり我儘かなぁ....。
 でも、無理しちゃ駄目だって知ってる。体がついて来ないし、毎日無理してちゃ本当にキツイんだもの。
 ナマケモノ、万歳だ。


 でも、時々高校時代の友達から電話が掛かってくるとこんな私でも『昔』に戻っちゃう。
 妙に元気でハイテンション。
 下らないギャグも言ってみるし、ちょっと乱暴な口きいてる事もある。
「もー、そういうのってさダメじゃん!ちょっとは頑張んなよぉー、そうじゃないと老けるよぉ」
とか言ってる。
 たまたま息子が側に居る時こんな風にしゃべってたら、『ママどうしたんだよ?変!』って顔されてじいっと睨まれちゃった。
 やっぱり息子にしてみれば、これはママらしくありませんかね?
 皆、無意識に私を『妻』や『ママ』や『奥さん』って枠に閉じ込め様としているのねって思う。それを私は嫌だと思わない人間だから息子の視線に負けて早々に友達との会話を終了させたりしちゃうけど、嫌だと思っちゃう人は大変だろうなって思う。
 『不幸だ』じゃなく、『大変だ』って思う。
 上手に想像出来ないけれど、そんな人の日常ってきっと大変そう。
 『妻』で『ママ』で『奥さん』で、その上『自分』なんだもの。きっと大変だわ。


 夕方。ピンポーンって呼び鈴がなって、息子が学校から帰って来た。
 あら?今日は早いわねと思ってたらガチャリと開いた扉から息子の泣き顔が入って来た。
「どうしたの?勇気」
 ベェベェ泣いてる息子は、自分の膝を指差した。
「あららぁ、コケちゃったの?」
「........うん」
「何処で?」
「........溝」
 息子はそう言うと、ふえぇーんって泣いてがばりと私にしがみついた。
 私は息子を抱き締めて、この前一緒にスーパーに行った時息子が側溝の中を歩いていたのを注意した事を思い出した。
(またあの遊びをやってたのね)
 あれは危ないから止めなさいって、ちゃんと怒ったのになぁ........。
 もしこの子がもっと大怪我してたら、私は死ぬ程後悔しちゃうのに、息子はちっとも分かってくれないんだから。
「ちょっと見せてみなさい」
 ふむ、少し血が出てるけど擦っただけね。
 息子はじっと怪我してる部分を見ている私に神妙な顔。
 これは、怒られるかなって思ってる顔だな。怒っちゃおうかな。そうしたら、今以上に大泣きされて煩いんだけどね。
 ママはこういう時、本当に悩むのよ。
 甘やかして、よしよしって言ってあげるだけにするか。だから危ないって言ってたでしょ!と怒っちゃうか。慰めつつ、注意のお小言もくらわしちゃうか。
 うーん........。
 先に慰めようか、先に怒ろうか?それが問題だ。
「ママ....?」
 息子は私が余りにも真剣に傷口を見ていたので、不安気な声をあげた。
 その声が可愛くて、私は思わず息子を苛めたくなっちゃった。
「....勇気....これもうダメかもしれないよ」
「えぇ....っ」
「バイキンさんが、勇気の膝をぐわぐわぐわって食べちゃうかも〜」
「わーん!!!」
 息子は想像力豊かなタイプみたいだから、一瞬の内に膝をぐわぐわバイキンさんに食べられる所を想像してしまった様で大泣きした。
(可っ愛いなぁ!)
 私はまだまだ純粋な息子にご満悦ですよ。もう少し大きくなったら、生意気なだけになっちゃうんだもの。今が最高ね。
「勇気、勇気。でも大丈夫、ママがバイキンさん退治してあげるから」
 私は自分で泣かせた息子を自分でよしよしって慰めた。
「本当?」
「本当、本当!ママがやっつけてあげる」
「うんっ!」
 本当、我が息子ながら可愛いねぇお前さん!
 私は息子の手を引いてお風呂場で足を洗って、消毒して絆創膏を貼った。
「はい出来た〜」
「....痛い」
「痛いのはしょうがないよ。勇気が、ママが前にダメって言ってた遊びしたんだから」
「............」
「いい?今度から溝の中は歩いちゃダメよ!」
「うん」
 息子は私のお小言に、ぶうと俯いた。本当に可愛いなぁもう!
「ママ....」
「なぁに?」
 甘えちゃって。普段はもうちょっと小憎たらしい癖にねぇ。
「バイキンさん、死んじゃった?」
「うん。ママがやっつけたもん」
 私はそう言うと、エイヤーと今息子がハマッている特撮ヒーロー『ワニレンジャー』に出てくるネオブラウンのポーズをとった。
「ほら、勇気はネオシルバーやんなきゃ」
「ネーオーシルバぁあー!!」
 息子は私にそう言われ、嬉々として前に来ると、変身ポーズを決めた。
 馬鹿な親子だなぁ、私達。
「勇気君の膝に悪の細菌をまき散らしたバイキンさん!このネオブラウンとネオシルバーが退治した!」
「ヤーッ!」
「とーう!」
 右足キック、左足キック、両手を前!
「どーん!」
「や、やられたぁ〜」
 先までネオブラウンだった筈だけれど、私は息子の後ろで悶絶してパタリと倒れた。
「ヤッター!」
 息子は大喜び。
 本当、ママは大変ですよ。一人二役ですからね。


 毎日がこんな感じ。なんとなく流れていく。
 ナマケモノの私。
 『なにか』を遣らずに過ごして行っている。
 エイエイエイと頑張ってみても、長続きしない。気が付けば、昨日と一緒の毎日です。
 お買い物、お掃除、食事の支度にお洗濯、お風呂掃除にゴミ出しで、お米を仕込んではい終了。
『ママはナマケモノ』
 確かに、確かにその通り。私は何もしていない。
 意味なくテレビを見ているか、生活しているかの女。
 深く考えない、単純ママです。


 けれど、それでも『なにか』を生み出しているのかしら?


  おわり
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by yoseatumejin | 2006-05-12 14:35 | 短文/(計19こ)