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とりとめのない僕と妻との会話 あるいは、午後


題「とりとめのない僕と妻との会話
  あるいは、午後」



「どうして、引かれ合っていたものが反発しあうのかしらね?」
彼女は、テーブルの上に置かれたグラスの縁を指で何度か行き来させながら言った。

「さぁ」
僕は、なんとなく途中で切り上げた仕事が気になって来ていた。

「だって、月はどんどん地球から離れて行っているんですって。引力で引かれ合っていたのに。私達が、不安になるのもしょうがないわよね。だって、月の影響って人間にもすごくあるじゃない。その力が弱まって、遠くなっているなんて、世界中の人間が自分達の未来を不安に感じるのも当然な気がする。
きっと、私達も知らないような遠い未来には、月が自分達の側にあったなんて知らない人達ばかりになっちゃうんだわ。
今、月の横にちょこんとしてる金星くらいになっちゃったら、未来の人間ってどうなっちゃうのかしらね?おかしくなって当たり前な気がする」

「さぁ、それは分からないけど。でも、宇宙は常に膨張し続けてるんだし。月が遠くなって行くのもまた当然なんじゃないかな」

「それって、確かにそうね」

彼女にしてはめずらしく、素直に僕の意見に同調した。

「そう?」

「宇宙って、原子が融合したり分離したりして増えて行ってるのでしょう?宇宙規模で考えたら、私達人間だって原子と何も変わらないわよね。融合して、分離して、この地球に増えて行ってる訳だし。私達が、宇宙に出たいって考えるのも、この宇宙の道理に即してるって事よね。きっと、月が遠くなった頃には人間も遠くまで広がって行ってしまってるかもしれないわね。原子レベルで、人間も膨張して行くんだわ」

「そうだね」

頷きながら、僕は宇宙飛行士の格好をした人間が、地球からぽーんと飛び出して行く姿を想像してしまった。
原子レベルで、飛び出してしまう姿を。
それは、ちょっと笑えた。


オレンジジュースを入れたグラスは、もう温くなっている。グラスの周りに付いていた水滴も、もうない。
その代わり、グラスの底には水溜りが出来ていた。
でも、彼女も、僕も、かまわずにそれに口をつけた。


とにかく、僕は自分の仕事が終わってはいないんだ。
一区切りさせては来たけれど、書き終わったわけじゃない。
彼女は、切ったグレープフルーツの最後の二切れは自分と僕がそれぞれ半分こすべきだと主張した。
だから僕は、オレンジジュースを飲んですぐにグレープフルーツを食べる気にはなれないよと言った。

「とにかくね、書き終わらないんだよ」
「大変よね。起承転結を考えて書くのって。ただ単に、想像するだけなら、楽なのに」

くすくすと、片肘をついて彼女は笑った。
なんだか余裕たっぷりな笑い方だった。

「例えば、どんな風に?」
「ストーリーなんてないのよ。だって想像するだけなんだもの」
「うん」


「例えば、ね。女の子が居るとするじゃない?その子が、お父さんから靴を買ってもらうの」
「赤い?」
「ううん。青い靴。パパは言うのよ、『空の青と同じ色だよ』って。でも、パパが靴をプレゼントしてくれた日は生憎外はくもり空だったのよ。空一面に、雲が覆ってて。その隙間から太陽が光だけ差し込ませているような。まるで、毛布の隙間から懐中電灯をあてたみたいにね」

僕は彼女の話で、想像する。確かに、空はどんよりとしている。
青じゃない。

「次の日、空は晴れて青かったわ。パパは、『見てごらん、今日は靴と同じ青空だよ』って。でも、彼女はパパに悪いから口には出さなかったけれど、空が青いって考えるのはもう古くさいんじゃないかしら、パパ。だって、空の青と靴の青が同じな事なんてありえないし、空は青じゃない事の方が多いんじゃない?って。…まぁ、そんな事を、彼女は口には出さないけれど思ったわけ」

「それで?」
思わず僕は聞いていた、彼女は僕の問いかけに首を横に振ると、想像なんだからそこまでしかないわよ。と苦笑した。

「それからね、女の子はママに言われて、可愛がってるぬいぐるみと人形を洗うの。まぁ、丁寧にね。洗ったんだけど、いざ干す事になって彼女は悩むわけ。だって、自分の体を洗うのと同じ様に洗う事は出来ても、彼女は自分の体を干したりなんてしないんだもの。だから、どうやってぬいぐるみと人形を扱ったら良いのか分からなくなったのよ」

「でも、干さないといけないよね」

「そうね。ママは、人形とぬいぐるみの両手を洗濯ばさみで挟んで、物干し竿に干したのよ。女の子はそれを見て、初めはちょっと楽しそうで良いって思うの。だって、自分も鉄棒にぶらさがって遊ぶでしょう?あんな感じだわって。でも、よくよく考えたらちっとも楽しくないって気が付くわけ。両手を洗濯バサミで挟まれてるなんて痛いし、両手をずっと上にあげてるなんて苦痛だわって」

「もし僕だったら、ギブアップするね」

「私だってするわね。だから、彼女は気付くのよ。ぬいぐるみと人形は、ぬいぐるみと人形なんだって。それから、洗って乾いた後のぬいぐるみは、カーペットみたいにごわごわするし、人形は顔が変わっちゃうって事もね」

「残念だね。いっその事、洗濯なんてしなきゃ良かったんだよ。そうすれば、友達のままで居られたんだ。彼女も、ぬいぐるみも人形も幸せだった」


それから僕は、この話は彼女自身の事なのかもしれないと思った。
でも、彼女は『私じゃないわ』と首を振った。


「私は、買ってもらった靴は喜んではいたし、ぬいぐるみや人形を洗濯しても気にもしなかったわ」
「じゃあ、君のお姉さんとか?」
「ねぇ、この女の子は想像なのよ?現実に私は知らないわ」
「それじゃあ、君の心の中に居る?」
「それもない。だって、今考えただけだもの。私は、ただ想像しただけ。貴方みたいに、仕事じゃないんだもの。すごく適当に想像しただけよ」
「僕も、そういう風に書いてみようかな。結果なんて何もないさ。ふわっとして、君の想像みたいに書けたら楽しそうだけどな」
「そんなの、誰も喜ばないんじゃないかしら?」
「そうかな?そうかもしれない。でも、書くのはすごく楽しい気がする」

それは、お話の断片みたいなものだし。
僕だって、ふっと想像する事もある訳だから。
例えば、紙飛行機がずっと飛んでいくのを。
ずっと、飛んで。
終わりがない。女の子が古くさいと言う、青い空に、紙飛行機が一機。
空だって、ずっと青いまま。

「なんだろう。僕の想像は面白くないな」

サンドウィッチは、ちょっと干乾びて来てる気がする。
チーズと、キュウリと、マスタードバター。
僕も彼女も、シンプルなものを好んで食べていると思う。


「貴方は、いつも想像してるからでしょう?想像にまで、創作癖が入りこんじゃってるのよ。意味を持たせないといけないんだわ。女の子が、いくつで、どこに住んでるのかとか。姉弟が居るのかなんてね?彼女の好きなもの、好きな色、好きな本。誰が彼女を愛していて、誰が彼女を嫌っているのか。貴方はすぐそういう所まで考えようとするのよ、きっと。髪の色も、肌の色も、瞳の色もね。お父さん似なのか、お母さんに似なのかって」
「うん。楽しくないね、それ」
「そうでしょ?あー、なんだか、喉渇いて来ちゃった。ビール、一缶貰っていい?」


彼女は、椅子から立ち上がる時、テーブルに両手をついて、えいっと立ち上がった。
冷蔵庫の開くボスっという音に、僕は自分も便乗する事にした。

「ねぇ。僕にも、ツードックくれない?入ってただろ?この間買って、結局飲まなかったんだ」
「あるわよ。でも、良いの?貴方、まだお仕事中じゃない?」
「良いんだ。だって、君だけなんてずるい」
「だーめ。お仕事あるんだし。ジンジャーエールならあるわよ。甘くないやつ」
「じゃあ、それ」
「了解」


結果、僕は便乗に失敗し、しぶしぶと彼女から、ジンジャーエールの壜を受け取った。
これは、先日彼女が安かったからって買って来たやつだ。お酒割るのに便利でしょ?って。
お酒も割らずに飲む用になるなんてね。
彼女は、自分だけ缶ビールをグビグビしてる。
今日は彼女は仕事がオフだからね、たまの日曜日だし。
こうやって長い午後を過ごしているんだから、僕よりも良い恩恵に与れても当然かもしれない。
彼女は、自分も残していたグレープフルーツをビールのアテにして、美味しかったのか残っていた僕の分も結局口に運んだ。


彼女は、あまり詳しくは教えてくれなかった。
彼女は少し前まで、妊娠してると言っていたけれど、その直ぐ後であれは違っていたと言った。
お医者さんに行ったんだろうって尋ねたら、そうよって答えたけど。


『でも、違ったのよ』


何がどう違っていたんだろう。医師がそんな間違いするはずもないと思う。
でも、この話は彼女をとてもナーバスにさせたし、僕は自分が彼女を泣かせてまでこの話をしたいと思わなかった。
僕達は元々子供の事とか、口にあまりしない夫婦だった。
だから、もし彼女が何か秘密を抱えていたとしても、あまり知りたい気持ちはなかった。
僕達は、融合し分裂し膨張しない原子から出来ている気がする。
ただ、隣り合って存在する原子同士でだから満足しているんじゃないだろうか。


「あぁ、こんな時間からビールを飲むのって、贅沢よね。
しかも、旦那様の目の前で、旦那様にはおあずけを食らわせておいて、ね?」

「もう酔ったの?」

「まさか!でも、一眠りしたい気分にはなるわね。こうやって」


そう言って彼女は、テーブルに片頬をくっつけて上半身を倒した。
左手が僕の方へと伸ばされてくる。
彼女の指が、僕を呼んで、僕はその手に自分の手を重ねた。
お互い同じ位の体温だからか、あったかいという感じはあんまりなくて、ただいつも思うように彼女の指が僕よりも柔らかくて気持ちよかった。


「ねぇ」
「何?」
「お風呂掃除、忘れてないわよね?」
「忘れてないよ」


僕は苦笑した。
ジンジャーエールで、甘い雰囲気に酔いそうな気持ちだったのに。
女性は、皆こうなんだろうか?
少なくとも、男よりは現実的に出来てる原子だと思う。
それが、女性にとって幸福かどうかは分からないけれど。


きっと、お風呂掃除の事を持ち出すなんて、彼女は、僕に多分何かが言いたかったんだと思う。
けれど、彼女はきっと、僕よりも強いんだろう。
だから、こんな風に現実を呼び戻して、何事もなかった事に出来るんだ。


僕は、彼女が女性でよかったと思う。
もし、彼女が男だったら、なんとなく僕とは相容れない存在だった気がする。
僕の弱さを彼女は嫌いそうだし、僕は彼女の強さに気圧されて友情すら芽生えなかったと思う。
彼女が女性で、しかも僕を好きになってくれたのは偶然の幸運だ。
僕は彼女を、僕の妻に出来て本当によかったと思う。


「じゃあ、そろそろ。仕事を始める前に、風呂掃除して来るよ」


僕は、半分以上あったジンジャーエールを、ぐびぐび飲み干した。
ちょっと、むせる。
彼女は、僕がケホケホやってる姿を見て、嬉しそうににやっと笑った。
それから自分も立ち上がって、テーブルの上に残っているサンドウィッチの皿やグラスやグレープフルーツの皮なんかを片付け始めた。

そして、出て行こうとする僕に向かって


「ありがとう、貴方」


と普段と変わらない口調で、いつも通りそう言った。



      終わり
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by yoseatumejin | 2010-08-14 11:07 | 短文/(計19こ)