過日(15)

          四

 眠たい。
 僕は花寿子達を見送ってから、木陰で仰向けになりました。口の中は痛かったけれど、気持ちは安らかでした。一晩眠らなかったせいか、堪らなく眠たくて僕はそのまま砂浜で眠ってしまったのでした。
 波の音、風の音、日差しの暑さ。砂の暑さ。木陰の中で僕は幸福でした。
「圭介、もう起きろよ」
 目を開けると、颯くんの顔が映りました。とても久しぶりに会った様に懐かしくて、僕は嬉しくなりました。会いたかった人、もしもこの世にそんな人が生まれた時から存在しているとしたならば、僕にとってその人は颯くんの様な気がするのでした。
「圭介、何嬉しそうに笑ってるんだよ。寝ぼけてんのか?」
 颯くんは『変な奴』と呟きながら僕の腕を持ち上げで、僕を起こしました。
「ありがとう」
 颯くんにそうお礼を言った瞬間、僕は唐突に堪らなく幸福な気持ちになりました。自分が今、生まれたばかりの様な感覚で一杯になったのです。ありがとう。ありがとう。ありがとう。言葉、感情、気持ち。初めて全てが繋がった様な気がして、僕は自分の声を体中で味わいました。
「あぁ」
 颯くんは、僕が変わった事に気付いた様でした。僕の目を見て、嬉しそうに笑って、それから少し意地悪そうな顔をして、
「お前があんまりにも遅いから、母さん心配してるんだけど」
 と怒って見せました。
 確かに太陽が山の向こうに消えていました。
「戻ろう、颯くん」
 僕がそう言うと、颯くんは「夕飯の準備手伝えよな!」と笑って駆け出しました。
「圭介さん」
 厨房に入ると、ユキノさんがニコッと笑って出迎えてくれました。
「迷惑かけてしまってすみません」
「とんでもないわ。けれどよかった」
 ユキノさんはそれから、僕の頬の痣を見て「大変!」と顔色を変えました。颯くんが「大丈夫だよ、それくらい」と言ったのでポカリとはたいて
「颯!すぐに救急箱っ」
 と一喝。僕は口の中が痛いのも忘れて大笑いしてしまいました。颯くんがとっても大人なので、ユキノさんの母親振りを見る事は少ないのです。僕はあの家でもいつかこんな風に母と妹がやり取り出来れば、と願わずにはいられないのでした。
「痛かったら言って下さいね」
 僕は救急箱と一緒に厨房からたたき出され、円谷さんの部屋にお邪魔していました。厨房でユキノさんの手伝いをしていた可南子さんに、連れて来られたのでした。麻里香ちゃんは僕が突然やって来た事が嬉しかった様で、僕達の周りをくるくる回っては何度も僕に「だいじょうぶ?」と聞いて来ました。僕が頷くと麻里香ちゃんはまた回転を始めて、僕達の周りを回るのでした。
「すみません。皆さんにまで迷惑をかけてしまって....」
 僕が謝ると可南子さんは
「とんでもない!叱られてる颯くん、初めて見ちゃった。麻里香、あなたはいつも叱られてるのにね」
 とくるくる回っている麻里香ちゃんの方を見ました。可南子さんのお怒りの視線を感じた麻里香ちゃんは、慌てて僕の背中に隠れてから
「ママ、お兄ちゃんのお手あて、はやくしてあげなくちゃ」
 と負け地の応戦をするので僕はクスッと吹き出しました。可南子さんは、そんな麻里香ちゃんの頬っぺたをツンツンと突いてから、「ハイハイ」と微笑んで、僕の手当てをしてくれたのでした。

  つづく
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by yoseatumejin | 2005-02-03 13:24 | 文/過日(全38回)


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