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幸福な大人(07)


 5) 幸福な大人

 午前十一時半頃。
 炬燵でダラダラしながら叶子が携帯で遊んでいた時、玄関のチャイムが鳴った。
 光恵に頼まれしぶしぶ玄関を開けると、母多香子が土産袋を片手に笑顔で立っていた。
「............」
「明けましておめでとう、叶子」
「あー、おめでと。てゆうか、自分の実家じゃん。チャイム押さずに勝手に入れよ」
「暮れても明けても口の悪い娘ね」
「会うなりムカツクッ!」
「宿題ちゃんとやってる?」
「やってる、やってる」
「うっわ、嘘だわ。初嘘聞いちゃったわ」
「ホント、多香子って名前サイアク〜」
 叶子はわざわざ両手で頬っぺたを押えて驚いて見せる母多香子に呆れた顏をすると、とっとと居間に引き返した。母多香子は叶子の後ろをクスクス笑いながら付いて行った後、台所に光恵の姿を見つけて土産と共に挨拶をしに向った。
 そんな時、玄関をガラリと開けて多香子が
「おはよーございます!」
 とやって来て叶子は『速攻でダブル多香子だよ....ヘビィだ』とげんなりした。
「おはよう、叶ちゃん」
「あー、はよはよ」
「適当ー!」
「もう良いじゃん、適当で....」
「酷い〜」
 多香子はむくれながら炬燵に入ると、台所の話し声を聞き取った様で『お客様?』と聞いた。
「あぁ、母親来た」
「おばさん、私と同じ名前なんだよね!」
「終わってるよな」
「何でそんな事言うの〜?」
「ダブルでウザい」
「分かった!叶ちゃんが私に冷たいのは、私がおばさんと同じ名前で羨ましいからだ!」
「どんな理屈だよ....」
「人権問題だよ、それ!名前で好き嫌いしちゃ駄目だよ叶ちゃん!」
「だーかーらー、あんたのその論理はどっから発生してるんだってーの!」
 叶子は多少図星かと思いつつも、またまた出て来た多香子の理論にうんざり顔で突っ込みを入れると、
「それより、昨日の、どうするんだよ?」
 と話を変えた。
「あ、そうだった」
 多香子はパチンと手を叩くと『さぁ、作ろう!』と叶子の腕を取った。
 嫌々言いながらも裏庭に連れ出された叶子は、嬉々とした顔で植わっている庭木からぷちりぷちりと常緑の葉と赤い実を千切っている多香子に
「何すんの、ソレ?」
 と質問をした。
「本当は耳にはユズリハ・目には南天(ナンテン)の赤い実なんだけど、オバちゃんの家には深山樒(ミヤマシキミ)しか植わってないから、ちょっと拝借〜」
「はぁ....何言ってっか分かんねー」
「まぁ、まぁ。気にしないで良いから。叶ちゃんはちょっとお待ちなさい」
「なんか、今日のあんたオバくさい」
 叶子は背を丸めて屈んでいる多香子の後ろ姿に目をやると、鼻で笑った。
 多香子はそんな叶子に『ふぉお、ふぉお、ふぉお』と好々爺の様な笑い声を返すとごそかさと辺りの雪を掻き集め、縁側の上に乗せた。そして、オムライスの型の様に雪を整えると深山樒の葉を二枚、実を二粒ちょこなんとそこに付けたのだった。
「完成〜!」
 手袋のせいでバフバフと鳴る拍手をしながら、縁側に出来た雪兎を叶子にお披露目する。
「へぇ、雪兎じゃん!」
「知ってた?」
「生で見るのは初めて」
 叶子はそう言うと、縁側にちょこなんと鎮座している雪兎に顔を近づけた。
「前に玄関の隅に作ったのは、家からユズリハと南天持って来て作ったんだけど、もう面倒だったから持って来なかったんだ。だから、ちょっと偽物の雪兎になっちゃってる」
「ふーん、こいつはエセ雪兎なのか」
「うん、エセ雪兎」
 多香子は叶子のネーミングが可笑しかった様でクスクス笑った。そして、
「でもね、そのエセ雪兎ちょっとの間なら良い匂いがすると思うよ」
 と言った。
「何で?」
「深山樒って、みかんの木の仲間だから、葉を千切るとみかんの香りがするんだ」
 多香子はそう説明すると、深山樒の枝からぷちりと一枚深緑の葉を取り叶子に手渡した。葉を二つに千切った叶子は鼻を寄せクンと匂うと
「マジ、みかんっぽい!」
 と感嘆した。
「でしょ?」
「じゃあさ、この実はみかんみたいに食えるわけ?」
 叶子は赤紅の小さな実を指差すとそう言った。が、多香子はそれを聞くとぶんぶんと首を横に振った。
「ダメだよ。絶対、ダメ」
「はぁ?何、いきなし」
「だって、実には毒があるんだもん。食べたら、凄しい痙攣が起きるんだって。殺虫剤にも使われてるモノらしいから絶対に食べちゃ駄目だよ、叶ちゃん」
「はぁ!?ちょっと、そんなヤバイもん庭に植えて良いのかよ!」
 叶子は、多香子の説明に心底驚いた声をあげた。庭に毒物が植わっているなど、叶子から考えたら信じられない事だった。
 だが、多香子は叶子が本当に驚いている姿を目にして、
「でも....深山樒は山地には普通に生える植物だし....この辺じゃ、何処でも見かけるものだよ....?」
 と何とも複雑な表情をした。
「でも、ガキとかが間違って食ったらどうするんだよ!?」
「食べないと思う....」
「はぁ!?なんでそう言い切れんの。葉っぱがみかんくさいんだから、実もみかんの味かもって、ふつー思うじゃん!」
「うん....でも........」
 深山樒の株達を指差して自分にそう詰め寄ってくる叶子に、多香子が困り果てて来た頃。
 カシカシと雪を鳴らしながら母多香子が二人の前に現れて
「あら、雪兎そこに作ったの?折角、お盆持って来たのに」
 と状況に合わないのほほんとした声を掛けた。
 叶子はふいに現れた母多香子の姿を見留めると、
「ねぇ!バアちゃん家のこのミヤマなんたらって毒があるのに庭にあっちゃ危険じゃねー?」
 と賛同を求めたが、母多香子は叶子の言葉を聞くと多香子の肩をポンと叩き
「別に危険じゃないわよねぇ、多香子ちゃん」
 と言った。
「どうして!?」
「だって、ねぇ....」
「はい....」
「何二人で意気投合ってんだよ!?」
「あのね、ここら辺の人はみんな知ってるの。深山樒の実が危険だって事は常識。叶子みたいな都会っ子には危険でしかなくっても、ここの子達にはおもちゃにしても大丈夫なの。知識の違いよ。何だってそうでしょ?知ってるから使えるのよ。ごめんね多香子ちゃん、家の叶子はお子ちゃまだからそこの所まだ分かってないのよ。許してやって」
 母多香子はそう言うと、多香子の肩をぽんぽんと叩いて叶子にニッと笑いかけた。叶子は自分の事を『お子ちゃま』と言われムッと顔をしかめた後、「どーせ、バカですみませんー」と明後日の方角を見た。
「叶ちゃんはバカじゃないよ。私がちゃんと最初に説明しなかったから....」
「そーゆー事言われると、よけームカツクんだよっ!」
「ごめん」
「こら、叶子。いじけない、いじけない」
「いじけてねーよ!つーか、いつまでも居る気だよ。さっさと消えろよ」
「あー、本当に口の悪い娘に育っちゃって」
「あんたの子供だからしょーがねーじゃん!」
「なるほどねぇ」
 母多香子はそんな叶子の台詞にこくと頷くと、ぷっと吹き出して一人で大笑いした。そして、
「そうそう。私ね、叶子が生まれた頃『幸福な大人』について考えてた事があるんだわ」
 と言った。
「はぁ?何訳分かんない事イキナシ言ってんの?」
「幸福な大人?」
 二人は母多香子の突然の話題変更に不思議な顏をした。
「そう、『幸福な大人』ね。あのね、私が二人位の頃さぁまだ家の父さんが健在で、そりゃもう五月蝿かったのよ。母さんに手あげるわ、私の事も打ったたくは、酒呑んで暴れてちゃぶ台ひっくり返すはで、漫画みたいな『頑固親父』だった。当然私は父さんの事が大嫌いで、毎日こんな家絶対出て行ってやる!って思ってたわ。打たれたり、雪の中寒いのに締め出し喰らったり....本当、不幸だぁって思ってた。そんな事だったから、大学行くって事でこの家を出れた時は心底『やったぁ』って思ったの。二度と帰って来るもんか!ってね。あの家に戻れって言われるのが嫌で卒業と同時に結婚までしちゃった。まぁ、今思えば........そんな理由で結婚しちゃいけなかったんだな。と分かるけど、とにかく結婚して、叶子が生まれて、それから半年後にあっさり離婚しちゃって。でもここに戻るのだけは嫌でね、一人でやって行くんだって意地張って....気が付いたら三ヶ月後に過労で倒れて入院してたわ」
「てんでダメ人生だな」
 叶子は突然始まった『母親の人生話』に呆れた声でそう突っ込んだ。母多香子はそれを聞くとはははと苦笑いして、
「そうなのよ、てんでダメだったのよ。私が入院したって聞いて真っ青になってすっ飛んで来た父さんの顏見たら、本当『私、何やってたんだろう』って思った。母さんの腕の中で泣いてる叶子見て、『馬鹿だったなぁ』って思った。この子には、私しか居ないのにって。それでね、どうしてこんな事しちゃったんだろうって思った時に出た結論が『幸福な大人』だったんだ」
「で、その........『幸福な大人』って、つまりナニ?」
 叶子は、優しい目で自分達の顏を見ている母多香子に気が付いて目を逸らした。そして、逸らした視線を足元に落とすと、地面の雪を無造作に蹴って黒い土を覗かせたりした。
「つまり、私はずうっとこの家に戻りたくないって事に執着してただけだったのよ。そのためにどうしたら良いのかって事ばっかり考えてたの。だから、大切な事や大事な事一つも考えてなかった。自分がどんな人間になりたいかとか、どんな人生を送りたいかとかね、ちっとも考えてなかったのよ。流されて大人やってた。その上、母親にまでなっちゃってた。これじゃあ、ダメよね。幸せになんかなれないわよね。ましてや叶子を幸せになんか出来やしない」
 母多香子はそこまで話すと、地面を蹴り蹴りしている叶子の足先にざふっと雪を乗せて笑った。多香子はそんな二人の間に静かに佇んで遣り取りに視線を注いでいた。
「下らない事やらねぇで、続き話せよ」
「はいはい、話しますよーだ」
「....しゃべる気あんのか?その返事」
 叶子は俯いたまま母多香子の返答に肩を竦めると、静かに沈黙を守っている多香子をチラと覗き見た。多香子は叶子の視線に気が付くと、小さく目だけで笑った。
「結局ね、自分が幸せじゃなかったら誰も幸せになんか出来ないって事が分かったのよ。........大人が幸せじゃなかったら、子供も幸せになんかなれないんだって。よく大人が言うじゃない?『子供には、幸せになって欲しい』って。でも、『子供には』って何?って事よ。『には』って言うって事はさ、今自分はあんまり幸せじゃないんだって言ってる様なものでしょ?子供にどこか『幸福である事』を押し付けてる気が、私にはしたのよ。....でも、それじゃダメだって、分かったの。私がまず『幸福な大人』じゃなきゃ、叶子に『幸せって良いよ!』って言ってあげれないんだなってね」
 叶子は母多香子の話を聞き終えると、はぁあと嘆息した後『ナルホドね』と呟いて、
「それで、あんたは好き勝手生きてるわけだ....。やっと理由が分かったよ」
 と言った。
「好き勝手って言うのは失礼ねぇ!」
「だーって、そうじゃん。義父さん居るのに『仕事いってきまーす!ついでに呑んできまーす!』な生活じゃんか」
「良平(りょうへい)さんが居たって、月に二・三回位良いじゃない〜」
「週一回の間違いだろ?」
「一週間、何処にも行かないって週もちゃんとありますぅ!」
「その若ぶったしゃべりがムカツク!」
「良いじゃない。私幸せなんだから。叶子、幸せって良いよ〜」
「なんか、いつも以上にそれ言われるとムカツクーッ!」
 叶子はそう言うと、深山樒の葉に積もっていた雪を掻き集めて母多香子の顔面へと投げた。
「やーん、何すんのよ〜!」
「その声がムカツク!若者ぶんな!逃げんな!」
「フフフ、じゃあね〜」
 母多香子は雪を投げる叶子にそう告げると、持って居たお盆で顏を隠しながら多香子に手を振り『やーん』と逃げ出した。
「チッ。都合が悪くなるとすぐ逃げる!」
 叶子は最後に投げ切れなかった雪を地面に投げ捨てると、悔しそうに舌打ちした。
「おばちゃん、お盆持って行っちゃったね」
「あんたの感想はソコかい!」
「だって....」
「何よッ!」
 叶子は自分に柔らかい視線を向けて笑う多香子にそう詰め寄ったが、多香子はそんな叶子の様子にクスクス笑うと手袋を脱いだ。そして、
「だって、『泣いてるよ』って言ったら叶子ちゃん怒るでしょ?」
 と叶子の頬に手をあてた。
「ッ!........るに決まってんじゃん!」
「うん」
「バカ」
「ごめん」
 多香子はそう言うと、さふと叶子を抱き締めた。
 着ているコートとダウンジャケットがなんとなく窮屈で、多香子は自分の肩に乗っている叶子の頭を見て小さく笑った。
「安心したんだよね?」
「....何がよ」
「大人になる事」
「............訳、分かんない」
「ううん........違うよ。叶ちゃんは、分かってたんだよ。自分が大人に成りたいって思ってる事に気が付いてたんだよ。だから一人になって考えたくて、でも一人になってもイライラして....そうやって悩んでたんだよ。大人に成るって事の意味とか、理由とか、探してたんだよ。そして、大人に成ろうとしている自分が居る事が、ちょっとだけ怖かったんだよ」
「........」
「おばさんは、ちゃんとそんな叶ちゃんを見ててくれたんだね。だからきっと、自分の事話してくれたんだよ。私、そう思った」
「....何で、あんたってなんでもかんでもポイポイ言っちゃえる訳?ズルすぎ、勝てねぇじゃん」
 叶子はそう言うとガバっと顏をあげて、赤く潤んだ瞳を投げた。
「叶ちゃんも兎になってるよ」
「だからさ、何でそういう事言うんだよッ」
「さぁ?....何でかなぁ?自分でも分かんないや」
 多香子は叶子の台詞に苦笑すると、頭に手をあてて髪をくしゃくしゃした。
「きっと私そういう性格なんだよ、叶ちゃん。思ったらどんな事でもすぐ言っちゃうの。そういう性格が良いのか悪いのか分からないけど、きっと私はそういう人間なんじゃないのかなぁ」
 叶子はそんな風に自分の答えに一人で苦笑している多香子を見つめると、
「........私も雪兎作る」
と呟いてしゃがんだ。そして、雪を掻き集めると縁側に乗せ多香子の作った雪兎の隣に並ばせたのだった。多香子は叶子が作った雪兎をじいっと見つめると、
「なんだかへっぽこだねー、叶ちゃんの雪兎」
 と笑った。
「悪かったなっ!初めて作ったんだからしょうがないじゃん!」
 叶子はそう怒鳴ると、自分の作った雪兎に笑い声を溢している多香子の背中を押して
「あー、もう家入ろ。兎も出来たし。寒ぃ!」
 と泣き笑いしている顔を隠しながら玄関に向ったのだった。

  つづく
by yoseatumejin | 2006-10-24 11:16 | 文/幸福な(全12回)


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