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「個室考」(全1回)

題「個室考(こしつこう)」


  秘して見られる者あり。


いや全く、個室たる物の利便性高き事は、僕の様な人間が千言を費やすより、皆様の方が先刻承知の事であろうと思う。
一ヶ時間程、個室を利用なさった事があれば、実に個室が快適であり、人間本来の自由を求める欲求に悠然と応えてくれる存在であると知れる。
なに、この中に入る時まで、紳士淑女老若男女の皆様は、ただただその顔(かんばせ)に面映ゆそうな微笑を湛えておけば良いのだ。
扉を閉め、鍵を掛けたが最後。
貴方は、貴方の望む侭に振る舞えるのである。
突如に、狭き個室内を駆け馬の如く闊歩しても良し。
憚る人目もない個室、脱ぎたいものは全て脱ぎたまえ。
大声で耳の遠くなり気味な婆様が、長年連れ添った爺様相手に癇癪を続けても、嫁や息子に止められる心配もないのである。
「なにが金婚式のお祝いですか!こげなホテルの高いフランスさんのコぉス料理だのに、まんまと連れて来られてっ⋯!貴男には、私がどんなに恥ずかしかったか、お分かりですか!フォークやナイフが使えんと、給仕さんに箸を持って来られる悔しさを〜っ⋯⋯あぁ!恥ずかしかっ⋯!!嫁ば、私がいっこん食べれんとを見て『あら、お母様。食が細くていけませんわ』ち言うたんよ。なーにが、お母様ね!そんな呼び方されたんは、今日が初めてったい!!陰じゃ、クソババクソババ言うとう癖に⋯!あぁ、恥ずかしか!箸でおフランスさんを食べないけんなんて、もう恥ずかしか!、死んでしまいたい言うんは、こういう事を言うんやねっ⋯!えぇ、えぇ!今日こそ、よく分かりました!ナマンダブナマンダブ」
勿論、隣の個室では、嫁が高笑いしておりますが、これも個室の事。自由に気侭に。
「あぁ!お母様、お母様、お母様っ!あぁ、可笑し!本当にお目出度いわ。ねぇ、金婚式ですものねぇ。精一杯、心を込めてお祝いして差し上げなくちゃ申し訳ないわよね。私、東京旅行と沖縄旅行と何方(どちら)がよろしいですか?って、事前にお母様に聞いたのよ?そうしたら、お母様が『暑い所は好かんけん、東京で良ぇ』って言ったんだもの。そう言われちゃうと、此方としてもお母様が今迄一度も経験した事がない様な、素晴らしい思い出に残るお祝いをしなくちゃと思うでしょ。ねぇ、素敵!今夜は、貴方と結婚して、一番心が晴れ晴れとしている夜だわ。貴方っ」
蛇の舌の如き接吻と共に、抱き付かれた息子殿の心持ちにだけは、哀悼の意を示してしまいたいものですが、まぁこれはこれで個室ならではなのです。


まぁ、全く。この様に、個室の扉が閉められた後とは、人間万歳の世界である。
かく言う僕も、備え付けの狭い机を益々狭める様に空けた麦酒瓶を並べては、病人染みたパジャマに着替えて、髪でも尻でもワシワシ掻いているのだから、個室様々である。
もし、個室に入っても、何をするでもなくソファに座って一夜を明かす様な男もあるやもしれぬ。だが、僕から言わせれば、それは君、可哀相な男と言える。きっと、解雇通知を受け取った事を家族に言えぬばかりか、大事に隠して来た愛人にも別れを告げねばならぬのだ。買ってやったマンションだって、売ってしまわねばいけない。いや、何よりも解雇されたと知ったなら、妻は彼と別れたがる事であろう。そこに、愛人が涙ながらにやって来て『奥様が要らぬとおっしゃるなら、どうか私に彼を下さいませ』なんて。ややこしい事を言い出す始末である。
こうなっては、別れられるものも別れられぬ。いや、でも、妻は慰謝料だけは欲しく思う。
なにせ妻には、パートタイムで知り合った色がある。
うだつの上がらぬ色の為には、まとまった金は有難い。貰えるものなら貰いたい。いや、いや、それだけでは済まないのだ。妻には、彼に内緒の借金が彼の月給三ヶ月分程あるのだ。色に着せてるスーツが、彼の月給から作られている位の、可愛い額だと妻は思っているが、支払うとなるとこれがなかなか苦しい。
家計に掛かる費用を抑えてみても、色と使う個室の代金は抑えられぬし。毎度毎度の逢瀬に、同じ服と言うのじゃ、女じゃなし。季節だって巡り来る。
全く世間を渡るには、金が居ると、妻は彼より承知である。
ソファに座って一夜を明かしている男が、果たして個室の扉を開けて何処へ行くのか。それは気になる行方であるが、まぁ、この様な男の場合、後数回は個室を訪れては、まんじりと夜明けを眺めて居るだろう。


個室の中では、喜劇も悲劇も人情劇も一緒くたで良いのだ。
金持ち社長が、若い娘に土下座しておろうとも。その頭に乗っていた鬘(かつら)を、娘が裸足で蹴り飛ばそうとも、自由なのである。
何、社長様は嬉しそうに、涙ながらに裸足に縋っている。娘の方は、娘の方で、右の目には嫌悪を宿しておる癖に、左の目にはサンタ・マリアの慈愛が濡れているのである。
二人は確かに、互いの中にある種の愛を感じている。そして、当然の如き憎しみも。
女一人が、楽しそうに旅行の雑誌と一緒にベッドに横たわっている。その横には、愛犬の写真なども広げてある。カメラの中には、今日の旅が思い出となって残っているのかもしれない。
その時、電話が鳴った。
女は、携帯画面を眺めて沈黙した後、努めて明るい声をあげた。
「あら、ママ!こんな時間にどうしたの?え⋯、私?私は、まだ仕事中よ。そう、取材撮影。今日はホテルに泊まっているの。明日は、東京に戻るつもりよ。もう、ママったら!⋯そんな事は、ないって何度も言ってるでしょ!えぇ。えぇ。大丈夫よ。部屋だって、別だし。ママが心配する様な仕事じゃないってば!⋯⋯うん。はい。ちゃんと食べる。えぇ。おやすみなさい」
にこやかに電話を切った女は、電話を放り出すと、うううっと小さく啜り泣き出した。
そこに、ノック音。
「×××ちゃ〜ん。そろそろ本番だよー!」
「はぁ〜い!」
女は、またも明るい声で答えると、涙の跡に頬紅を入れ直した後、蝶の如き足取りで個室の外へと舞い出て行った。

  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

編輯M 「結局これは、何なのですか」
  僕 「個室に缶詰にされた僕の、精一杯の苦情です」
編輯M 「はぁ。苦情ですか」
  僕 「苦情です」
編輯M 「このホテルの事ですか」
  僕 「いいえ」
編輯M 「このホテル、五月蝿かったですか」
  僕 「はい」
編輯M 「⋯⋯。では、私はこれを急いで社に持って行かねばなりませんので」
  僕 「今からで間に合いますか」
編輯M 「間に合わせなくては、いけません」
  僕 「間に合うんですね」
編輯M 「何時も間に合うと、思わないで下さい。今回は、間に合います」
  僕 「有難う」

編輯Mは、僕が転がしておいた麦酒瓶を、三、四と蹴飛ばしながら、我が個室から消えて行った。



  終わり
by yoseatumejin | 2007-04-19 10:00 | 短文/(計19こ)


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